従姉の結婚式
2006年02月07日 16:26 | com: 0 | tb: 0
地元を離れていると、親類関係の情報は途切れがちになってくる。
そんな状況でいつの間にか話しは進んでいて、従姉が結婚するということになっており、先日の土曜、従姉の結婚式に出席しました。
名古屋駅前の高砂殿で行なわれたのですが、昔から名古屋の結婚式は派手だという話があり、どのようなものかという思いもありました。結局は特別派手というわけではなかったと思うのですが、良い結婚式になりました。
新郎新婦から両親に向けてのメッセージあたりは、直接関係はないのですが、親類でも思わず涙腺が緩んでしまうものでした。
従姉は年齢が一番上だったので、先に結婚できてよかったと冗談まじりで話していましたが、彼女の母親が病気を患っていることを考えると、両親に花嫁姿を見せることができたという安堵感もあったのでしょう。
僕は今の時代に相応しい考え方なのかどうなのか、早く結婚したいという気持ちはそれほどないのですが、両親が元気なうちに結婚できればいいなと思ったのでした。
四国旅行
2005年11月27日 22:30 | com: 0 | tb: 0
学園祭休みの後半を利用して、四国旅行に出掛けた。
というのは愛媛大学に高校の友人がいたことと、四国へ上陸したことがなかったことが理由にある。どんな所なのかは検討がつかなかったが、夏目漱石の坊ちゃんの舞台が松山ということで、以前読んだ文庫を取り出して再読するという準備もした。
今回訪れたのは愛媛県と高知県の2つ。
松山は四国一の街と聞いていた。松山の街はその中心に松山城がそびえ立ち、その周辺に街がつくられている。有名な道後温泉は湯船が少し深くゆったりと浸かっていられないことには疑問が残ったが、観光客はもちろん、地元の人々にも愛されていることが伝わってきた。友人と彼の研究室の教授と僕の3人で温泉に出掛けるというユニークなシチュエーションだったが、このようなことができる寛容さを街が作り出しているのかもしれない。
そして松山は単独である程度の機能を備えているという魅力がある。ここでいう機能とはライフスタイルを育むものであり、赤ん坊から老人までが楽しめる空間を提供するという意味である。身近な距離で事足りるというのは行動範囲を狭め画一化をもたらすという一般的な弊害もあるが、松山の街には人と人との関係を密にし、循環させる力があるように感じた。
高知では桂浜と四万十川を目的に訪れた。桂浜は太平洋を一望できるところにあり、かの坂本龍馬もこの地で日本の行く末を見据えていたのだろう。水平線の向こう側にまだ見ぬ地を思い描いて世界を感じていたことが想像される。
四万十川は中流でも大きな流れをつくっていて、大きな魚の姿を見ることができた。川の魅力もさることながら、周りの自然の大きさにも感嘆した。というのはセイセイとかフォーとか叫んでいると、その声が山々をとーんとーんと超えていくように聞こえてくる。山彦が返ってくるのとは少し違って、声が増幅されて向こう側に伝わっていくような感覚は今までに感じたことがなかった。
総括をすると、四国は日本という島国の中に存在する島といってもよいのかもしれないが、想像以上に大きな土地をもっていた。移動には相当に時間を要した。松山から高知市までは3時間ほど、高知市から四万十川のある四万十市までも3時間、そこから松山まで戻ってくるのも4時間ほど。高速道が十分に整備されていないこともあるが、実際に車で走行してみての感覚は四国の豊かさを感じるものであった。
次回は香川県や徳島県にも足を運んでみたいものだ。日本にはまだまだたくさんの魅力が隠されている。
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今回の旅行にはatourを利用した。往復の航空券と一泊の宿泊がついてきて格安で旅行ができる。
Swedish Style report
2005年11月10日 00:32 | com: 132 | tb: 0
Swedish Styleのお手伝いとしてレポーターを務めている。
今回関わったイベントの記事が掲載されているので、興味のある方はご覧を。
レポーターとしてではなくても、普段なかなか接する機会のないものに触れてみるということは新たな刺激があるものだ。ここで得られた情報を他の場面で応用することはもちろん、応用することができるように準備・訓練していくと思わぬときに役に立つことがある。
デザインには作者の主義・思想がふんだんに取り込まれているが、それの解釈は私たちに委ねられている。そういった点がデザインのデザインたる魅力なのではないだろうか。
Bamboleo live
2005年10月31日 00:36 | com: 0 | tb: 0

先日川崎クラブチッタで行われたキューバのオルケスタ、バンボレオのライブを振り返る。
今回の来日では、彼らは品川ステラボールとここ川崎クラブチッタの2会場のみでライブを行った。品川では金曜に行われたためか、2000人もの観客が集まった模様。川崎では火曜のためにそれほど集まるとは考えていなかったが、開演直前になるといつの間にかフロアが埋め尽くされていた。
昨年の渋谷AXでのチャランガ・アバネーラはフロア半分くらいだったことを考えると今回の賑わいはどのような理由だろうかと考える。決してバンボレオがチャランガと比べて絶大な差をつけて人気を持っているかといえばそうではないだろうし、長崎ハウステンボスで公演を2年続けたチャランガの方がむしろ日本では知名度は高いのではないか。そのようなことから今回は人気という尺度では測れない。とすれば順当に考えてプレスのPRが巧みだったのだろうか。とはいっても感覚としてはそれほどでもなかったように思う。ならばキューバ音楽を受け入れる態勢が次第に整いつつあるのか。
そのようなことを短い時間で自問自答していた。

村上龍氏の挨拶から始まり、メンバーが次々と現れる。
バンボレオに限ったことではないが、メンバーの出入りは激しくめまぐるしい。リーダーのラサロは健在だが、どのような理由でかは推測するしかない。ただ自らの音楽を追求するための再構成を常に行い続けているのだろう。外枠だけを見ていればモーニング娘。のようにも映るが、そのポリシーはつんくのものとは性質の異なるものと考える。
今回のライブではボーカルのタニアが加入して音源が出ていないことから、どのような歌声を聞かせてくれるのかという思いもあった。もちろん彼女の歌声はすばらしく、バンドの音楽にキレと一種の重みを加えていたように思う。彼女の表情を見ていると固い決意が込められているようで、笑顔を見せる場面は案外少なかった。ラサロに至ってはメンバーに指示を与えている様子を見ると、鬼気迫るような印象。笑顔は終わりに一回だけだったのではないか。
安易に捉えればファンサービスが足りないということになりがちだが、むしろ彼らの音楽に対する真摯な姿勢を垣間見ることができた。
圧倒的なパワー。ただ力づけられるだけでなく、考える要素も与えてくれる。
文化祭
2005年10月22日 22:37 | com: 0 | tb: 0
教育実習校の文化祭を見に行った。
その主なイベントとして合唱祭があるのだが、合唱に関しては本当に力の入れ具合が違う。それぞれのクラスが金賞を目指して音楽の授業を中心に練習を重ねていくのだが、放課後の時間を割いて練習をするということもあった。今の子どもたちにもどれほどかはわからないが、そういった精神が受け継がれているような感覚を覚えた。
成長を自覚することは難しい。ただ合唱を聴くとそれは明らかになる。
というのは、1年、2年、3年と学年が上がるにつれて確実に上達していることがわかるからだ。合唱だけをとっても、中学生の時期を通して大きな変化が見られる。
堂々とした姿勢は、いくら若いとはいっても力を与えてくれるものなのだ。
Swedish Style Volunteer Meeting vol.1
2005年09月19日 00:43 | com: 0 | tb: 0
9月17日、スウェーデン大使館にて第一回のボランティアミーティングが開かれた。
想像以上に人数が集まり、50人ほどいたかもしれない。
はじめに過去のSwedish Styleの概要や趣旨などの説明があり、その後は各企画へのサインアップ(登録)へと移った。
どの企画もこれから準備していかなければならないものが多く、まだまだその実態は定かなものではない。これからの関わり次第になりそうだ。
各企画は以下のとおり。
- ホームステイ
- The Story Lab / Giarimi クラブイベント
- Ginza Gallery
- Happy Night (11/4)
- Happy Sayonara - Closing Party (11/12)
- カフェ
- 翻訳&通訳・アテンド
- ウェブ・レポーター
- 設営
- セミナー・ワークショップ
- Technical&ドライバー
- PR&カメラマン
- Swedish Style Annex
- Event 前準備
- Graphic
このうちの3つ、The Story Lab / Giarimiとウェブ・レポーター、Event 前準備にサインアップすることにした。
Swedish Style in Tokyo 2005
2005年09月15日 16:48 | com: 0 | tb: 0
こんにちは、スウェーデンスタイルです。今年も開催されるSwedish Styleには、以前よりも期待している。いよいよ「スウェーデンスタイル2005」の準備が始まりました。
2005年は、11月2日から12日の期間で開催されます。
スウェーデンのクリエイティブ、デザイン、ライフスタイルをフルに体験できる
エキサイティングな11日間となるでしょう。
昨年は友達がイベントを手伝っていることもあり、ちらっと覗いてきただけであったが、今回は何らかの協力ができればと思いボランティアとして関わりたいと考えている。
手始めに第一回ボランティアミーティングが開催されるので、参加しようと思う。
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9月17日(土) 15時ー17時
場所 スウェーデン大使館 クラブルーム
屋久島の計画
2005年08月23日 23:57 | com: 0 | tb: 0
帰ってきてからしばらく経ってしまったけれど、屋久島のレビューを書いてみようと思う。
まず、屋久島への行き方。
8月12日に東京を出発し、その日の夕方に屋久島に到着するためには、羽田空港から鹿児島空港までの飛行機に乗らなければならない。帰省の時期に当たっていたためか、通常料金よりも割高に値段が設定されており、飛行機で行くことをためらうほどだった。
羽田-鹿児島間はJAL、ANA、SKYMARK AIRLINESの三路線があり、正規料金ではJALとANAは35000円ほどで、SKYMARK AIRLINESは28000円ほどであった。ただSKYMARK AIRLINESは座席が全く空いておらず、JALかANAを選択するしかなかった。しかもオンラインで見ていると、深夜でも空席状況が途端に変わっていた。
少しでも格安な航空券を手に入れようと思い、Travel.co.jpで探すと28000円ほどで航空券が買えることがわかったが、手に入るまでの手続きや郵送の時間を含めると2日間ほど必要だった。
そんな中、近所の金券ショップを覗くと羽田-鹿児島間の航空券が26000円で売っていたので即購入。この航空券は株主優待券として配布されたものが金券ショップに売られているものであり、正規料金よりも割安で手に入れることができる。航空券と座席の予約は別なので、先に座席をwebで押さえておくと搭乗がスムーズになる。
そして鹿児島から屋久島へのアクセスは2つの方法がある。
飛行機かフェリーのどちらかになるが、それらは価格と所要時間を考慮するとよいのではないだろうか。飛行機で行くならばJALグループのJAC便がある。一日に七便ほどあるために利用しやすく、40分で到着、価格は12000円ほど。
一方、フェリーでとなると一日四往復する高速船トッピーか一日一往復の折田汽船となる。トッピーは2時間~2時間半ほどで到着、価格は片道7000円。折田汽船は5時間ほどで到着、価格は片道5000円となっている。
島内での宿泊やレンタカー、山の情報などは屋久島観光協会のサイトを参考にした。このサイトは島の安房(あんぼう)地区にある観光協会が作成しているもので、多くの情報が集められている。
屋久島
2005年08月12日 05:02 | com: 13 | tb: 0
しばらく行ってきます!
NHK見学
2005年06月05日 22:53 | com: 0 | tb: 0
NHK教育の情報Aスタジオ見学に訪れた。
情報科教育法でお世話になっている田邊先生に誘われ、昼過ぎに渋谷NHKに集まるとすぐに収録スタジオに通していただいた。ここに来たのは中学の修学旅行以来ということになる。そう考えると東京に来て何年も経っているわりにあまり出掛けていないことに気づく。
30分という短い番組にも関わらず収録はほぼ一日かけて行われた。朝10時頃から始まり、終わったのは19時頃。リハーサルと本撮りを繰り返し、納得がいかなければ再度カメラをまわす。また、念には念を入れて予備の映像も撮っておくなど後日の編集に向けて準備を怠らない。
番組制作はテレビに流れるときにはわからないが、比べられないほど地味な作業の裏づけによって成り立っている。どうしても、撮影しているときにはオンエアされる番組のイメージがつかないほど細切れにカットをしていて、なかなか現場のスタジオには臨場感というものが感じられなかったのだが、おそらく一つの番組として出来上がるときにはそれらしいものになるのだろう。
高校講座情報Aというパネルの作成を手伝い、もしかしたら番組の最初にちらっと登場しているかもしれないというおまけ付き。
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NHK高校講座 情報A
番組放送は6月30日(木)15:00-15:30
再放送7月4日(火) 1:00-1:30(月曜深夜)
7月7日(木)15:00-15:30
7月11日(火) 1:00-1:30(月曜深夜)
東山田中コミュニティハウスオープンイベント
2005年05月22日 11:00 | com: 82 | tb: 0

東山田中のコミュニティハウスオープンイベントに参加してきた。
サルサのメンバーから6人が集まって、朝早く8時に到着して簡単にリハーサルを行う。ステージの形が正方形で思ったよりも幅が狭かったために位置関係の調整をしなければならなかった。
9時すぎから次第に人が集まってきて徐々に準備が整っていく。僕たちは開式するまで練習をしたり、体育館で行われていたインディアカを体験していた。
式の挨拶が終わり、和太鼓、中学生のヒップホップが終わった後いよいよ出番が回ってくる。デッキの音量が小さくて仕切りなおしをするというハプニングがあったが、ほぼ2週間という短い練習時間にも関わらず、よい出来となった。
その後、マツケンサンバを中学生と一緒に踊ったりと多少でしゃばってしまったが、後々話を聞いてみると盛り上げてくれてありがとうという言葉を戴けた。
最後には校長先生もステージに上がってきて踊りに加わっていた。
今回サルサを披露したのはもちろん自分が楽しいという気持ちがあるのだが、経験できる世界が限られがちな中学生に、あるひとつの可能性というものを伝えたかったということがある。地域が関わっていくコミュニティハウスでは、多様な年齢や文化が混在した交流が始まって欲しい。その中で子どもたちが多様性を自然に受け入れた価値観を養っていくことを願う。
とにもかくにも、何かできることがないかと考えていたことが、ここで一つ実行できたことが自分にとっては収穫であった。
東山田中学校
2005年05月13日 07:10 | com: 0 | tb: 0
5月23日(月)に東山田中学校のコミュニティハウスがオープンする。それに伴ってオープン祝いのイベントが5月21日(土)に行われる。
このイベントにサルサを披露することが決まっている。中学生には馴染みのないものかもしれないが、何事も早めに経験or見るということが可能性を拡げるために必要なことである。
そのほか、中学生による大道芸や吹奏楽部の演奏、一般の吹奏楽団の演奏などが予定されていて、会場はカフェ形式で準備されるようだ。
東山田中学校開校式
2005年04月01日 23:33 | com: 0 | tb: 0
2005年4月1日午前7時。僕はスーツ姿で電車に飛び乗った。傍目から見れば入社初日のフレッシュマンに見えたかもしれない。しかし向かった先は横浜市都筑区にある東山田中学校だ。
今日は学校ボランティアとして初めて訪れた。新興住宅街の中にある校舎は建設から間もない雰囲気を十分に見せ、清々しい朝の景色と相まっていた。
新しい校舎でバリアフリーなどの特徴はあるのだが、やはりそこは学校なのだという印象を与えられる。廊下や教室の札は少々の懐かしさがあり、何といってもその空気感が際立っているからだろう。
どういった関わり方が出来るのかと模索していたが、今回感じたのは教職員はもちろんのこと、保護者の方々の働きの大きさである。実際のところ、今日の式に関しては学生がすべきことはなく、力仕事や簡単な案内をするに留まった。やはり地域の関わりが重要であると感じた一面であった。
だが、学生が全く力を貸すことが出来ないというわけではない。校舎内に設置されているコミュニティハウスは現段階で白紙の状態で、これからどのように運営していくかを考えていくところだ。一種のサロンにするという構想があり、その仕組みつくりを一つ一つクリアしていかなければならない。それにはハードとソフト両方を充実させていくことが必要で、学生が出来ることはソフト面のコンテンツを考えることなのではないだろうか。そのために学生が特権的にもつ力を総動員して、多様な可能性を提示することが出来ればと考えている。ただ、基本的には理屈っぽくなく単純に楽しめるものを提供すればいいかな、健康的ではないかなと思う。
学生ボランティアに限らず、個人個人が追い求めるものは違っているが、ひとつのフィールドを介して何らかの収穫がなければ意味がない。可能な範囲でしっかりと、そして楽しみたい。
Sandiego
2004年12月23日 23:46 | com: 1 | tb: 0
11月20日
グアダラハラのバスターミナルへ朝7時半に着く。
ここからティファナまで36時間かかる。すぐにチケットを購入して8時出発のバスを待つ。アンヘルくんとお別れをして長い長い移動の始まりだ。
バスは冷房が効きすぎて寒いと聞いていたが本当にその通りで、上着をかけていても震えることがある。頭上の空気口を塞げばいいのだが、隣のおばさんは震えているのに口を塞ごうとしない。周りを見渡すと誰も口を塞ごうとはしておらず、一瞬怒りさえ覚える。彼らは熱いのかもしれないな。オレはオレで体温を調節しなければならないと考えるしかなかった。
バスの中は時折ビデオが上映され眠くなければ見ているといった状態。もちろん日本語字幕がないために、英語とスペイン語の声と字幕を見て勉強した。そのほかは2人分の座席を占領して横になるくらいしかない。
ティファナまでの道のりで、いくつか軍隊による荷物チェックをさせられた。合計4、5回ほど止められただろうか。眠いのに寒いのにわざわざ外に出なければならないのが面倒で、メキシコ人たちもうんざりしていた。長距離バスは案外こまめに休憩をとる。トイレ休憩が主なのだろうが、バスターミナルのトイレは有料なので僕はバスのトイレをもっぱら利用した。
11月21日

そんなかんだで38時間。予定より遅れてティファナについたのは21日の22時だった。ここからタクシーで国境まで向かい、すぐに国境を越えられると思っていた。が、入国審査でアメリカ入国のビザがないといって入国を拒否されてしまった。パスポートにはビザを切り取った跡が残っていたのだが、初日にロサンゼルス空港を出てしまったために、ビザを失ってしまっていたのだった。なんとか理由を説明し、新たなビザを発行してもらえることになった。アメリカでの住所を示す必要があったために大村くんに電話し、発行手数料6ドルを支払うために両替商を探す。そうしてなんとか入国を認められて、やっと大村くんに会うことが出来た。友達のめぐみちゃんとエドワードの3人で迎えに来てくれていた。

車でサンディエゴに向かう途中、お腹が減っていたのでハンバーガーを食べにいくことに。メキシコ料理ばかり食べていたので、なんだか新鮮な味がした。夜中の24時過ぎにこんなものばかり食べていたら太ってしまうね。などといったことを言い合って、2つのハンバーガーを食した。
大村くんの家はとても広く、じゅうたんがフワフワで快適な環境。僕たちはメキシコの写真を見ながら旅の話で盛り上がり、眠りについていった。
11月22日
昼前に起きて、テスト後の大村くんとめぐみちゃんと一緒にピザを食べに出掛ける。店の雰囲気も良く、味も料金も良心的で3人とも気に入った。めぐみちゃんはこれから授業ということだったので別れて、大村くんと二人で家に戻る。
サンディエゴ港にある戦艦ミッドウェイを見るために、もう一人のルームメイトであるボビーに近くまで車で送ってもらう。

ミッドウェイは大きく、戦闘のための船であると同時に生活のための船でもあった。中に収められている飛行機やヘリコプターもよかったが、船員が生活するための食堂や寝室などが船内での生活観を十分に伝えてくれた。僕たちは司令官の椅子に座って雰囲気を味わったり、甲板の上から見えるサンディエゴのダウンタウンを眺めながら、すごいすごいと連発していた。
その後、ダウンタウンを少し見学してスターバックスのお姉さんがアメリみたいだったねといい気分を味わって、ボビーにハイアットホテルまで迎えにきてもらった。夕食は大村くんお勧めのお寿司の店。とてもお洒落な雰囲気で気軽には入れないところ。ここで食べたいくらのまろやかさは忘れられない。家に戻ってもステーキを食べたりして、本当食べてばかり。
帰国便は23日の朝だったので、この日中にロサンゼルスまで行かなくてはならなかった。偶然にもボビーがロサンゼルスで行われるオンラインゲームの発表イベントに行きたかったために便乗させてもらうことにした。ここで大村くんとお別れをして、ボビーと2人、車で走り出す。ボビーは日本のアニメーションが好きだというのでガンダムの話などを出来る限り話そうとしたが、英語が得意でないために言いたいことが伝えられないこともあった。メキシコでもスペイン語が話せないことで十分に楽しむことが出来なかったので、もっと語学は磨いておかないといけないと肝に銘じた。
ロサンゼルス空港に降ろしてもらったときは23日の1時。あと7時間半待たなければいけない状況で、ベンチで寝ることにした。この旅の中で一番寒い思いをしたんじゃないだろうか。旅も終わりだなと思いながら過ごした深夜の空港は昼間の活気よさとは違ってしんみりとしていた。
Guadalajara
2004年12月16日 13:39 | com: 1 | tb: 0

11月17日
グアダラハラには夕方到着した。
バスターミナルは今までのところよりもはるかに大きくて交通の要であることがわかる。
すぐにセントロ行きのバスに乗ってカテドラルの近くで降りる。

最近できたというユースホステルに宿泊することに決め、夜の街を散歩することにする。グアダラハラは人口は多いが案外静かな環境が整っているように見えた。大通りの人の数は多いものの少し脇道にそれれば小さな明かりがぽつりとしているものが多い。メキシコシティには感じられた危険な雰囲気がほとんどないような気がしてきた。
ユースに戻り、翌日テキーラ村に行きたいことを告げると管理人のペドロが3人以上の参加者が必要だと言う。合部屋になったNYのケンゴさんとイングランドのジェームスを説得し、なんとか参加できる手はずは整った。
ユースは比較的新しいはずなのにシャワーから湯が出なくて困った。寒いシャワーを浴びていると疲れが全く取れない。後から入ったケンゴさんは粘って待つとアツアツなのが出るよと言っていたがどこまで待てばよいのだろう。
11月18日
朝は8時頃起床。
ロビーでは朝食をとる宿泊者の姿がちらほら見える。すると管理人のリンが話しかけてきて、これからヨガを一緒にしないかと誘われた。少し面倒だなと思いながらも断る理由もない。もう一人女性を加え、3人で一枚のマットを引いて始める。基本はリラックスすることだ。そして呼吸を大切にする。お香を焚いて雰囲気をつくり、リンの指示通りに体を動かす。すると、起きたての堅い体が熱を帯びてほぐれてくる。徐々に稼動範囲が広がり生き生きとしてくる。ヨガに限ったことではないだろうが、朝のスタートにはちょうどいいエクササイズになった。
昼前にペドロ、ケンゴさん、ジェームスと僕の4人でユースを出発し、近くのバスターミナルへ歩いていく。今回のテキーラツアーは200ペソで参加した。自分でバスを探し、村でガイドを依頼する方法もあると聞いたが、時間や手間のことを考えれば手っ取り早く、しかも安いということが決めてになった。2時間ほどバスで移動すると遂に念願のテキーラ村へ到着した。
しばらくするとガイドのサリーがやってきて、まずは昔のテキーラ工場を案内してくれるという。



テキーラはアガベと呼ばれるアロエのような植物から作られる。地中に埋まっているパイナップルのような形のものを茹で、石のローラーで潰す。そうして滲み出てきた液体を樽に移す。そこでしばらく放置して発酵させた後、機械に移して蒸留させることによって私たちが飲んでいるテキーラの原液が完成するという。
その後は現在の農場と工場を見学をしに車に乗って出掛ける。COFRADIAと呼ばれる工場へ着くとテキーラの歴史や博物館を案内される。工場に入るとテキーラの匂いが充満していてそこにいるだけでほろ酔い気分になってきそうだ。先ほど訪れた工場とは違い、現在は大規模生産を行うために自動的にテキーラが作られる仕組みが出来上がっている。一通り見学した後、待ちに待ったテキーラの試飲が始まった。

3ヶ月モノ、11ヶ月モノ、3年モノの3種類を飲み比べたがやはり3年モノがまろやかで一番良い味をしていた。調子に乗って何杯も乾杯してしまったので昼間にも関わらずくらくらしていた。お土産に11ヶ月モノのテキーラを買って村へと戻る。簡単な食事をいただいて、グアダラハラへ帰るバスを待つ間、村のバーでもテキーラを飲んでみることに。結局バーでは20ペソのチップだけで何杯もマルガリータをいただいてしまった。少し悪いなと思いつつもメキシコ人の心意気に感謝する。
そうして岐路のバス内では気持ちよさと疲れが出てぐっすり眠る。テキーラ村へ行くことができ満足した一日だった。
11月19日
ユースを10時くらいに出発して、グアダラハラ市街を観光することにした。カテドラル周辺は建物が綺麗なことと広場や公園施設があるために落ち着いた雰囲気になっている。そこから東へ向かっていくとユネスコの世界文化遺産に登録されているオスピシオ・カバーニャスがある。それほど興味はないのだが、これといってすることもないので退屈しのぎに入ってみる。

入り口を入るとスペインがメキシコを侵略した様子を描いた壁画がすぐに眼前に入ってくる。機械のように無機質なものとして描かれたスペイン兵がメキシコを食い蝕んでいく画を見ていると当時の残虐な様子が浮かんでくる。その他、キリスト教関連の絵画などが展示されており、規模も大きいために全てを鑑賞するには少々体力が必要である。
夕方、大学の友達である大村くんに紹介されていたリサさんとカテドラルの前で待ち合わせる。実は前日の夕方に会うつもりであったが、テキーラ村から帰ってくる時間が予想以上に遅れてしまったために、この日に変更していた。前日に迷惑をかけてしまったので、何とか気分を盛り上げなければ申し訳ない。17時すぎに彼女はやってきた。パーカーにジーンズとスニーカー、ポーチを腰にぶら下げてカジュアルな雰囲気の彼女はキュートだった。電話でしかコミュニケーションしていなかったが、関西系だったのですぐに打ち解けた。そしてもう一人大学の友達のアンヘルくんという男の子がやってくるまで、前日は失礼しましたといったことを話していた。
3人が合流して、市場を案内してもらう。話によると市場で買えないものはないというくらいモノが充実しているという。メキシコの音楽がほしかったのでそれを目当てに細い通路を人を掻き分けながら進む。ここではマリアッチのCDを2枚と流行っているらしいルイスミゲルのCDを買った。この音楽はどういうのかと考えながら、店のおじさんに音楽を流してもらい、これはいいとかちょっと気に入らないなどと話しているだけで楽しい気分になれる。こういった余裕のあるコミュニケーションもいいのかもしれない。
その後、夕食を食べるためにアンヘルくんの車に乗り、馴染みの店に連れていってもらう。

まずカフェ・デ・オーチョと呼ばれるお米から作られる飲み物を頼む。これは白く濁っているのだが、べっとりするというものでもなく、意外とあっさりしていて飲みやすい。メキシコでは多くの人が飲んでいるのだそう。ここではチーズ入りのタコスが美味しいということで、アツアツのものをすぐに召し上がる。舌の上でチーズがとろけてきて、肉と絡んだ旨みがじわっと口の中に広がる感覚。
腹を満たした後は、バンドによる生演奏が聴けるというバーで飲もうということで移動する。バーは若者が集まっていて活気のある様子。これは日本でもありそうだが、どことなく薄暗く妖艶な雰囲気である。店のお姉さんがセクシーな洋服を着ていたこともあるが、基本的に開放感に満ち溢れていて、店も客もバーでの振舞い方を心得ているような気がする。アルコールを飲むことで得られる開放感を分かった上で十分に楽しむという方法を知っているということだ。僕たち3人はリサを通訳にしてもらって会話をして過ごした。大半がアンヘルくんの熱い思いについてだったのだが。
実はこの晩にアメリカとの国境の街であるティファナまで行くバスに乗ろうと思っていたが、この場を離れたくないという気持ちが上まって残ることにした。次の日の朝バスターミナルへ向かうことにして、この日は急遽アンヘルくんの家に泊まらせてもらうことになった。
Morelia
2004年12月12日 22:47 | com: 0 | tb: 0

11月16日
モレーリアへは夕方17時頃到着した。
バスで市街へ移動し、ここで降りると丁度いいと言われ降りたのはソカロの南側5分のところだった。そこから街の中心まで歩いていくと、コロニアル調の建物が広がってきて驚かされた。すでに周りが暗くなっている中、カテドラルがライトアップされている姿は豪華で壮麗なものに見えた。

昼間も同じ角度から眺めてみたが、やはり夜のライトアップが素晴らしい。この美しさは実際に見てみないと実感が湧かないものだ。
ホテルに着きチェックインを済ませ、街を探索するために歩き出す。街の中心部はコロニアル調の建物が並んでいるために人工的な装いばかりを見せる。車の排気ガスなどが舞い上がり、多少空気が悪いことを除けばとても綺麗な街並みをしているといえる。
夕食は生演奏の音楽が聴けるレストランでとった。レストランはCDショップに隣接しているためにすぐには気づきにくいのだが、重く大きな扉を開けた向こうには暗闇のキャンドルがほのかな暖かみを提供してくれる空間がある。壁面にはチェ・ゲバラの写真が飾られており、またミチョアカン州名物である死者の日をあらわすような骸骨のモニュメントがずらりとぶらさがっている。とてもロマンチックなレストランだったので一人で行ったのが勿体無いくらいだ。客数も少なく、じっくりとお互い話し合うための環境が整っている。ここにはもう一度訪れたいとさせる魅力を感じていた。
しばらく街を探索していたのだが、特別することもなく明日グアダラハラへ行くつもりであったので早めに就寝する。
11月17日

早めに起床して水道橋を見に行く。そしてカテドラルの傍のカフェでサンドイッチとコーヒーを注文して朝のひと時を満喫する。サンドイッチはなんということもない味だったがコーヒーは味わい深い。店員の雰囲気もよく、一日のスタートを切るための要素を備えている。チュロスを二本持ち帰りにして、いよいよグアダラハラへ向かうためバスターミナルへとタクシーで向かう。
Patzcuaro
2004年12月07日 04:46 | com: 1 | tb: 0

11月15日
メキシコシティからバスで5時間半。2つ目に訪れたのはミチョアカン州のパツクアロの町だった。ここは湖とそこに浮かぶハニツィオと呼ばれる島が美しく、毎年10月の末から11月の頭に3日間ほど行われる死者の日で有名な町である。
バスターミナルは町の南にあり、そこからタクシーで町の中心部へと向かう。料金は20ペソほど。途中、タクシーのサイドミラーが路駐している車のミラーにぶつかったが運転手が何もなかったかのように振舞っていたので少々不安を覚える。町の中心部にあるポカネグラ広場まで案内してもらおうとしたが、実際降りた場所は指定した広場とは別のバスコ・デ・キロガ広場だった。騙されたのかどうかわからないが降りてしまった後なので元々向かうはずだったもう一つの広場へ歩いていく。するとほどなく目的地周辺に着いてしまった。思ったよりも小さな町のようだ。人口は8万人ほどと聞いているのでシティとは比べるまでもないのだが、都会のごみごみした雰囲気から一転してカントリー調の町並みへと移ってくるとどこかほっとした気持ちになるものだ。

広場には死者の日の後ということもあってか骸骨のモニュメントが飾られていた。ホテルを決めようと最初に訪れたConcordiaは料金の安い部屋が一杯で空いている部屋は高かったために断念。隣のSan Augustinホテルに移り部屋を見せてもらう。2つの部屋を案内され、広場に面した広く天井の高い部屋に決める。100ペソと安かったがもとはドミトリー用に用意された部屋なのだろうか。あまりにもだだっ広い部屋にぽつんと置かれたベッドとテーブル、テレビはこじんまりとしたものに見えた。
さて、荷物を置けば身は軽くなる。夕方も終わり辺りも暗くなってきたので、まずは空腹を満たすべく町のレストランへ出掛ける。レストランには4人グループの1組しかおらず静かな雰囲気だ。屋台ならいいがやはりレストランに一人でやってくるのはぎこちないもので、こ洒落た店にいくのは少し億劫になりがちだ。しかしどう思われてもいいと開き直らなくては一人旅は楽しめない。まずはコロナを注文し一日を労う。料理はトルティーヤチップスが散りばめられたトロトロのスープと焼き鮭の二品。お好みでパンのサービスがあり、ちぎってスープと絡めて食べると旨い。メキシコではトルティーヤやナチョス、パンなどがサービスでついてくる。韓国ではキムチがついてくる。では日本では何だろうかと考えたことがあったが、それはおしぼりかもしれない。おしぼりはきめ細やかなサービスだなと考える。
レストランでの夕食を終え町を散歩することにした。パスクアロの町は人口8万人という規模なので賑やかさが足りない。午後9時というのに通りには人気がなくなっている。そして肌寒い。丘の上の教会や広場をぐるっと回ってみても静けさが漂う。正直夜やることがなくなってしまったので明日に備えて早く寝ることにする。
11月16日
朝7時に目を覚ました。広場に面した窓から下を見下ろしてみると、人の数はまばらである。まだ人々が活動する時間ではないのだと感じながら、朝の町並みを眺めるべく散歩に出掛ける。ホテルの裏は市場になっていて開店の準備をする姿が見られる。すでに準備が整った店もあり、工芸品を扱う土産物や野菜・果物を売るところ、肉を販売するなどとバラエティに富んでいて、もちろん食事処もある。どうせなら美味しいものを食べたいと思い、集客の多い店を探す。PLATO CHICOで頼んだ野菜と肉のスープはコクがあり体が温まるので朝をスタートするにはとてもよい。その後ビタミンや水分の不足を補うべくカットフルーツの盛り合わせを購入し広場で食べた。
今日は湖を訪れハニツィオ島を見てみたい。風光明媚なミチョアカン州の中でもこの湖は特別なようなものに見えた。ボカネグラ広場でバスの運転手にハニツィオ島に行きたいんだとアピールしたらLago行きのバスに乗るんだと教えてくれた。ガイドブック通りだ。2、3分ほどで新たなバスが到着し乗り込む。約10分ほど走った後で客の一人がここで降りるんだと教えてくれる。船着場が視界に入ってきて、一気に湖が目の前に広がった。ハニツィオ島行きの船は往復30ペソ。早速船に乗り込み出発を今か今かと待つ。他に乗り込んでくるのは観光目的のカップルや親子、もしくは多くの荷物を担いで、おそらく商人なのだろうか、島の人間かもしれない様相をしている。船の出発から20分ほど、島が徐々に大きくなり目の前に壮麗な風景を映し出す。

島に降りる前に漁師のパフォーマンス。マリポサと呼ばれる網を投げてPescado Brancoという魚を捕まる様子を披露しチップを要求してくる。いつもこうやって稼ごうとしているのだろうか。生活の知恵というべきか、観光客をカモにしている行動に対しチップを払ってしまう。
島はそれほど大きくないが人々が生活する様子は見れる。頂上のモレーロス像を目指すまでほとんどが土産物売り場や飲食店なのだが、しつこい客引きはなく、むしろ島の小学校や民家の生活が垣間見えてくる。島の人々にはゆったりとした時間が流れていた。

モレーロスの像は頂上に設けられた敷地の真ん中に立っている。中に入ると螺旋状に通路が用意されていて、壁に描かれた歴史を見つつ像のてっぺんまで登っていける。てっぺんには小さな小窓が3つほど用意されていて島の一番高いところから周囲を見渡せる。しかし、ここからの眺めはそれほどいいものではなかった。
島でやれることは特になく風景を楽しむくらいだったが、やはり島料理であるPescado Brancoを食べなくてはと思った。

小魚をカラっと油であげ、野菜とともに皿に盛り付けてある。とてもシンプルな料理でおやつ感覚で食べる。魚にライムをかけると油っこさが緩和され旨い。周りではちょうど小学生くらいの子供たちが遊んでいて、近所のおばさんとのコミュニケーションが交わされている。とてもほのぼのとした風景。小さな島で3時間ほども過ごしていた。
パスクアロに戻る船の上で今後どうするか考えていたのだが、パスクアロからグアダラハラへ行くバスは一日に12:30と23:50の二便しかなく、当初の予定ではもう一泊して12:30に出発するつもりだった。しかし今夜パスクアロに泊まってもそれほど刺激がないと考えたので、急遽モレーリアを訪れようという案が浮かび上がった。ここからちょうど2時間ほどであるし、便数も多いことを考えれば行ってみても損はない。そうと決まればさっさとバスターミナルへと急ぐのみだ。のんびりとしたパスクアロに別れを告げる。
MEXICO - city
2004年11月26日 12:39 | com: 5 | tb: 0

11月12日
日本から飛行機を乗り継いでおよそ15時間のフライト。
やはりメキシコの大地は遠かった。
シティに着いたのは19:30だったので今夜泊まる宿を探さなくてはならない。夜着くこととメキシコという未開拓の地ということもあって、友人から出発前に宿の予約を勧められていたが、面倒という理由で何も準備しなかった。しかし今夜の宿は必ず確保しなくてはならないので、空港でテレホンカード50ペソ分を2枚購入し宿へ電話をすると意外にもあっさりと確保できた。
おそらく11月というオフシーズンということで宿にも空きがあったのだろうが、ここで忠告しておきたいことはやはり1日目の宿だけはきちんと予約を入れておくべきだということだ。メキシコの中でもシティの治安は抜群に悪く、特に早朝と深夜の地下鉄は危険であり、空港から宿まで移動するのに地下鉄を利用したが、バックパックを背負うという明らかに旅行者ということをアピールしているのと日本人という顔の特徴が目立っていることもあって、非常にするどい視線を向けられてしまう。スリにも注意しなければならないが、あからさまに集団で囲んで恐喝をするということが実際に起こっており、僕が着いた日から2週間の期間に少なくとも2人の日本人が恐喝に遭遇し銃で撃たれたということもあったようだ。対策としては単独で行動しないこと、早朝・深夜の乗車は避けること、人ごみの車両に乗らない、金を要求されたら素直に渡してしまうということらしい。旅行者にとって金は生命線であるため、盗られてもいいような予備の財布を用意しておくこと、切符を購入するときに金額の大きな紙幣で買わないということも考えられる。
いづれにしても日本人の平均的な考え方が全く通用しない国であるのでこれから旅行を考えている方は気をつけていただきたい。
ここで後日電話の掛け方について困ってしまったことがあったので、メキシコの公衆電話から電話を掛けるときの注意点を挙げておく。メキシコでは市内と市外、宅電と携帯という2×2の組み合わせで4通りのコールの仕方がある。
例えばシティにある電話番号(55)1234-5678に掛けたいとき。
ここでの(55)はシティの市外局番にあたるもので1234-5678は固有の番号である。
市内からだと 1234-5678
市外からだと 01-55-1234-5678
とコールしなければならない。
市外から掛けるときは番号の前に01を押し、市外局番から全て入力しなければならない。
一方、公衆電話からメキシコ第2の都市グアダラハラの携帯電話番号(33)1234-5678に掛けたいとき。
市内からだと 044-33-1234-5678
市外からだと 01-33-1234-5678
とコールしなければならない。
原則、携帯には頭に044を付けなければならないのだが、市外から掛けるときは宅電と同じように01から始めなければならず、僕はこの点においてしばらく方法がわからず迷惑をかけてしまうことがあった。少々ややこしいがしっかりと覚えておきたいところだ。
さて、空港から宿へは地下鉄で。
空港最寄の駅はパンティトランで、到着口から向かって左側に折れまっすぐ行くと駅の入り口が見えてくる。ここから5号線に乗りラ ラサという駅で3号線に乗り換えイダルゴ駅で降りる。途中のラ ラサの乗り換え通路では胎児の成長の様子が描かれた写真や動物の写真などが飾ってあり、暗い通路の中光っていたのが印象的だった。地下鉄は一回2ペソでどこまでへも乗れる。約20円という料金を考えるとやはり日本の交通費の高さが気になってしまう。これまでいくつかの国を見てきたが基本的に日本以外は交通費が安く、単に外国の物価が低いということではなく、市民の移動の手段であるものは価格が低く設定されていると思う。シティの地下鉄は改札で切符を入れたら戻ってこないシステムで、出るときはそのまま出ることができるので途中で切符をなくしてしまうことがない。

イダルゴ駅に到着後、宿へ向かう途中でラテン音楽が聞こえてきたので心躍る状態になった。また、とあるBarではゆるやかな生演奏の中で男女のペアが踊っていたので行ってみたいと思わせた。
シティで泊まることになったサンフェルナンド館は松原さんという方がオーナーをしていて、日本人専用のホテルである。ドミトリーが一晩7ドル、個室が一晩12ドルと落ち着ける雰囲気と居心地を考えると非常に安い。到着すると滞在者たちで料理を食べるというのでご一緒させてもらった。長期滞在の方は久しぶりの日本食ということで喜んでいたが、自分としてはメキシコ初日というのに日本食を食べるということになってしまった。ご飯に肉じゃがに鮭にサラダという組み合わせ。シティに関する情報を得て今夜は寝ておく。
11月13日
サンフェルナンド館は朝食付きである。パンにバナナ、セルフサービスのコーヒーを戴いて出掛ける準備をする。
今日はアステカ文明の遺跡であるテオティワカンを見に行くためにシティの北バスターミナルへ。バスターミナルは地下鉄の駅に隣接しており見つけるのに全く苦労はかからなかった。まずはテオティワカン行きのバスチケットを購入しなければならなかったが、各バス会社が並んでいるためにどこで買えばいいのか探すのに苦労した。

テオティワカン行きのチケット売り場は入り口から向かって左側の8番ゲート付近にある。バスは頻繁に運行されているので待ち時間は少ししかなく、乗車時間も1時間ほどなので寝ることもなく到着。

バスを降りると入場券売り場前で降りたのでチケットを買い入場する。テオティワカンは太陽と月のピラミッドが見所である。また死の道と呼ばれる長さ2kmにも及ぶ道は照りつける太陽の下を歩いていると非常に長いものに感じた。

このときは気づかなかったのだが、太陽のピラミッドの頂上には黒い石が埋め込んであり、それを触ると願いが叶うという。どうも空のほうに注目がいってしまい全く気づかないままあとにしてしまった。死の道が長いこともあって見終わるまでに3時間ほどかかっていた。昼過ぎに到着したのだが、遺跡の中には飲食店がないために15時過ぎまで空腹のまま見学。先に食料を詰め込んでおくことをおすすめしたい。
シティに帰ってきてマリアッチが集まるガルバルディ広場を見学に行く。ある程度予想はしていたが本当に中年のおっさんたちが集まって楽器を奏でていた。赤ちゃんを連れた夫婦向けの音楽を聴いているとこういう行為が自然と行われていることに嬉しくなった。しばらく様子を伺っていると時間は何時かと尋ねられた。ちょうど20時ですね。ありがとう、旅行者のようだけどどこから来たの。これからはどこへ行くつもりなの。今流れている音楽は有名な曲で好きなんだ。などとたわいもない話をしていたら、実は自分はゲイだと告白する。ミュージシャンの彼を待っているのだが22時とか23時にならないと仕事が終わらないので待っていると言う。ただ彼がやってくるという保証はなく、仲間と飲みに出掛けてしまうかもしれない。でも僕はこうやって待っている時間が好きなんだと言っていた。別れ際にこんなに話を聞いてくれて君はいい奴だねということでサヨナラをする。
夜は飲みたいと思い、宿の近くのbarに出掛けた。昨晩はラテン調の曲に合わせてカップルがダンスをしていたのだが、今晩はロック中心のレパートリーでセルベッサ(ビール)やカクテルを飲む。周りを観察すれば静かに仲間と飲んでいる人もいれば音楽に合わせてノリノリになっている連中もいて楽しい雰囲気だ。セルベッサにライムを絞るだけで美味しくなる。日本でも基本でライムを添えてくれたらいいのに。
11月14日
昼間は市内観光。

三文化広場は教会と遺跡と新興住宅地の三つが集まった地域のことである。ふらりと立ち寄ると民族衣装を着た人々が楽器を鳴らしてお祭りのような騒ぎをしていた。何のために踊り狂っているのかと観察していたら、イエスやマリアののぼりを掲げていたためにキリスト教関連なのだと分かった。しかし民族的なものとキリスト教の組み合わせが浸透していることからある種の疑問を持つ。
その後シティの中心地であるソカロへ移動しぶらぶらする。日曜の昼間ということもあって人の数が多い。人混みが嫌いなのでそそくさと建築物の様子を観察してぐるっと廻る。あちこちで露店が開かれていたが立ち止まって見るほどのものはない。衣料品や音楽CD、雑貨など取り扱い商品は多いが、メキシコの人々はこういったものを買いにくるのが楽しいだろうか。

夕方、市内の南西方向にあるコロッセオへ闘牛を見に出掛ける。地下鉄の駅から少し離れたところにあるためもの静かな環境であったが、会場の中は大きな歓声と熱気で一杯だった。マタドールの華麗な技には惜しみない拍手と賛美が送られる一方、惨めな姿を曝してしまうと一気にブーイングを浴びせられる。そういった評価に関して観衆はシビアだ。牛に身体を押し上げられ叩きつけられたマタドールはぴくりとも動かなかった。すぐさま応援部隊が駆けつけ、牛の注意を惹くことによってそのマタドールは救出されたが、復活して牛に止めを刺しても彼はブーイングを浴びることを避けられなかった。闘牛は1対1で戦うことに魅力を感じるわけなのに、人間は牛と違って命を守る術を擁していることに都合の良さが表れている。30分に一頭のペースで牛が殺害されていた。

シティ最後の夜はやはり踊りたいと思い宿近辺のクラブを探す。メキシコの社交の場はサロンともいうらしい。それほど遅い時間ではなかったが22時で終わりといわれびっくりしてしまった。金曜の夜は長く営業しているが日曜は意外と早く閉まってしまうのだろうか。シティはメキシコの首都であるにも関わらず店閉まいの時間帯が早い。夜は治安が悪いということもあって22時を過ぎると人通りが目に見えて少なくなる。少々納得がいかずうなだれていたが、ガルバルディ広場付近では踊れる店がまだ営業していると聞き、早速移動する。広場に面していたRestaurant Los MARIACHISにて最後の夜を楽しむことにした。店に入ってテーブルにつくと向こうから男がやってくる。どこから来たんだ。オレはロサンゼルスに住んでいるけど今バケーションでメキシコに帰ってきているんだ。と挨拶される。何故気に入られたかわからないが彼のテーブルに席を移し世間話をする。世間話とは大抵女の子についてであり、女は好きか、メキシコのはいいのかとかそういった感じだ。僕らは生演奏のもとでメキシコ女性と踊る。言葉は通じないが踊りには全く関係ない。一通り楽しんだ後、彼に家に遊びに来ないかと誘われたが断り、ほろ酔いの中ホテルへと帰った。
おばけかぼちゃ(Jack O' Lantern)
2004年10月19日 04:12 | com: 0 | tb: 0

10月31日はハロウィンの日なのだが、それに先立って大学の学園祭でハロウィンの企画があったのでおばけかぼちゃ(Jack O' Lantern)を作ることにした。普段ならこのようなイベント(しかも外国のお祭り)に積極的には関わることはないのだが、今回はものづくりへの興味と意欲が勝ることになった。
まずハロウィンに関する情報を集めるためにハロウィーン通信やハロウィン・ジャパン・インフォを参考にしてイメージを膨らませ、ハロウィンの起源やおばけかぼちゃの作り方を学ぶ。
かぼちゃの入手方法であるが、花屋や外国商品を扱っているスーパーマーケットで手に入るようだ。僕はスーパーマーケットの成城石井でバスケットボールサイズのかぼちゃを1800円で購入した。

まずかぼちゃを掘るにあたって部屋が汚くならないようにビニール袋を敷いておく。

目・鼻・口を彫る際のイメージラインを描く。

頭のてっぺんに蓋を作るために円形に彫る。このとき切り口よりも内側方向にナイフを入れるようにする。

蓋をとると中はこのようにほとんど空洞になっており彫りやすくなっている。スプーンでせっせと形を整える。

目・鼻・口をくり抜き、部屋の明かりを消してろうそくに灯をつけると暗闇に不気味なかぼちゃが浮かび上がる。オレンジ色の光が漏れてきて、表情とは裏腹に暖かな印象を与えてくれる。所要時間は20~30分くらいと短く、意外にも簡単に作ることができた。
SWEDISH STYLE IN TOKYO 2004
2004年10月11日 02:06 | com: 19 | tb: 0

10月6日から16日までスウェーデンの文化やライフスタイルを紹介するイベントが東京各地で開催されている。
今日訪れたのは六本木一丁目にあるスウェーデン大使館。静かな土地にお洒落な建物が並んでおり、各国の大使館もここに構えている。
館内ではスウェーデンのデザインの優れた点を大きくアピールする展示がされており、そのデザイン性は見た目に優れているだけでなく人々が利用する際の配慮をも含んでいる。まさに街にデザインが溶け込んでいる状態だそうだ。
東京各地でデザイナーの作品を見ることができるようなのでチャンスがあったら出掛けてみようと思う。
CHARANGA HABANERA with HAILA MOMPIE
2004年08月28日 23:29 | com: 491 | tb: 0

CHARANGA HABANERAのライブを見に行く機会に恵まれた。
彼らは夏のハウステンボスでの日程をこなした後、東京に来て2回のライブを行った。その2回目、日本での納めの場であるSHIBUYA-AXに僕は友達のH氏とともに向かった。
開場までの時間、列をなして並んでいたのだが、集まってくる人々を見ると実に様々な格好をしている。ライブを楽しむために決まったドレスアップすることが必要というわけではなく、僕たち自身も普段着であるのだが、そのような様子を見ていると今回のイベントには様々な因子が含まれており、人々を惹きつけている。それはsalsaであるかもしれないし、CHARANGAのもつ魅力であるかもしれないし、あるいは村上龍かもしれない。そんなことを考えていたが、いずれにしても多くの人が集まることはよいことだと思う。

村上龍氏の簡単な挨拶が始まる。手短に話そうとするその言葉には安堵感のようなものも垣間見えた。今回もライブを開催することができたことへの安堵。いかに素晴らしいバンドでも、それに対してお金を出してくれるスポンサーの存在がなければライブは成り立たないということを語っていた。
さてCHARANGAのライブであるが、それは純粋に楽しめるものであった。このままでは何とも陳腐な表現に留まってしまうのだろうが、感覚的に伝わってくる楽しさは楽しいとしか言いようがない。彼らのボーカル、ダンス、演奏などの高い技術が裏付けているのはもちろんであるが、キューバ音楽には根源的な明るさがあり、僕たちはそんな雰囲気に包まれてしまうのだ。
途中ボーカリストたちが空に向かって手を突き出すと、観客も同じように手を突き出す。手を左右に揺らすと、観客もそれに続く。そのような一体感がライブには存在する。始め荷物をぶら提げていると、ボーカルの一人が目線で手を突き出そうぜと話しかけてきた。そのとき何だか嬉しいのと申し訳ないのが混じりあった気持ちになったが、不必要だった荷物を放り出して僕は解放された。
そう、私たちは何らかの荷物を背負っている。年齢を重ねるごとにその荷物は重くなっていき、やがて降ろすことが困難になってくる。古くから背負ってきたものは尚更だ。荷物は価値観を形成するとともに先入観を養うために本質を見失うこともある。本質を見失わないために何をすべきかといえば、背負う荷物を選択することである。
ライブに参加する前には荷物をロッカーに預けることを強くオススメする。
仙台七夕祭り
2004年08月06日 00:36 | com: 0 | tb: 0
四日目は帰京ついでに仙台の七夕祭りを見に行った。
初日にも立ち寄った仙台の街は以前とは大きく変わっていて、とにかく人の多さが何倍にもなっていた。秋田を始発で出発して12時に仙台に着いたのだが、改札の正面は浴衣を着た女性や人を待つ人々でごった返していた。
ここでも祭りの力は人を動かすのだと確認し、待ち合わせした澤田さんと合流。昼食を食べようと駅の牛タン店を見に行ったのだが行列をなしていたので駅の東へとまわる。駅の東口方面はメインではないために人通りはまばらなのだが、少しほっとする様子を見せる。利休という牛タンの店は最近身近な存在になりつつある店で、サラリーマンの姿がちらりちらり。店を出るときには少し列ができていた。牛タンで有名な仙台だが、その牛肉はアメリカ産であることをご存知だろうか。BSE問題は仙台にも影響を及ぼし、確実に牛肉の在庫は底を尽きつつある。牛タン発祥の店「太助」では5枚だったタンを今では4枚に減らすという対応策をとるほどで、近い将来仙台で牛タンを食べることが出来なくなる可能性はあるようだ。そういうことを感じながら牛タンの味を噛み締めた。
七夕祭りは西口のアーケードを中心に行われているのだが、三日前のアーケードとは比べものにならないくらいの人だかりで歩くのも大変だった。商店街の店は独自に出し物をして、そもの派手さや綺麗さなどで優秀なものは表彰されるようだ。それぞれが創意工夫して短い期間である祭りを彩っており、人々を楽しませていた。
夕方からのイベントには参加できなかったのだが、帰宅するために16時頃発の電車で東京方面へ向かうことにした。電車の旅は異常に乗車時間が長いのだが、慣れればそれほど苦ではないことを体験したし、移り変わっていく風景をちらりちらりと見ていくと確実に土地を移動していることを感じられた。そして祭りの持つ魅力や力強さを身近に感じ、その土地に息づいている文化には日常が作り出した見えない枠を取り除き、解放する要素があることを知った。なりより祭りを楽しむ人々の姿・表情には、現代を生きる私たちが忘れがちな活力が溢れていた。
秋田竿燈祭り
2004年08月05日 17:34 | com: 0 | tb: 0
三日目は竿燈祭りを拝見しに秋田に出向く。
夜の街にぼんやりと燈る提灯が有名な祭りである。
秋田市街地の竿燈通りを封鎖して、各町内会や団体、大学がそれぞれの技を競うような形式である。基本的に女性は太鼓や笛などの音楽を担当しているようで、とても力強い。東北に来て三日目だったが、これらの祭りは女性の力によって支えられているといっても過言ではなく、彼女らの粋の良さが祭りを一層盛り上げている。太鼓から発せられる響きは心の内側を喚起し熱くさせるものがある。一方、男性は竿にぶら下げた提灯を高々と掲げ、困難な方法(片手や額、腰などに載せて)どれだけ高くまで上げることが出来るかを競う。竿灯祭りは一般人が参加することは出来なかったが、そこに一種の地域性や儀式的要素、芸術などが織り込まれており素晴らしい。この日のために練習してきた意気込みがまじまじと伝わってきたことが、今回の旅で最も印象つけた祭りのポイントである。
若者は大人の演技を見て育ち、追いつこうと努力するのだろうか。そういった歴史の繰り返しを想像していると地域的な集団の良さを感じられる。たった数日間に一瞬にして輝く光景は人々を団結させ、一体感を生む。都市では確信犯的に失われた地域性が、この地では依然として受け継がれているのだ。
青森ねぶた祭り
2004年08月04日 17:02 | com: 0 | tb: 0
東北の旅2日目は青森のねぶた祭りに出掛けた。
有名な祭りなだけに実際に見に行かねばならない(素晴らしいと知っているだけでなく、自分の目で見て体験することが重要という意味で)と考えた。今回東北まで出掛けるきっかけになったのも、やはりねぶたの力が大きい。
前日に盛岡で一泊したのち、青森まで出掛けるために八戸へと向かわなければな
らなかったのだが、盛岡ー八戸間も当然18切符で行けると勘違いしており、朝盛
岡駅で事実を知ったときは少々戸惑った。というのは、JRでは盛岡ー八戸間は現
在鈍行が走っておらず、第3セクター経営の銀河鉄道で行くか、東北新幹線で行
くかのどちらかしかなかったからだ。駅員の話によると新幹線で行っても500円
ほどの差しかなく、大幅に時間の短縮ができるために新幹線を選択するのが賢明
ということだったので、3500円ほどの予想外の出費であったが泣く泣く支払うこ
ととした。
盛岡ー八戸間は新幹線でたった30分。これまでの鈍行の旅とは大きく違い、本を読む時間すらないと感じた。八戸の駅前は整然としていて、土産物を揃えた大きな建物が一つあるくらいだった。東北新幹線を青森まで伸ばそうという運動があるのだが、それが実現したとき八戸の町は大きな打撃を受けるのだろうと思い、それは盛岡とて同じことなのだと感じた。中継地点での楽しみが徐々に失われていくことと、国土交通省の叩かれっぷりなどを考えると線路の延長に慎重なのが頷ける。
さて、今回の宿泊地は青森駅から電車で15分ほどにある浅虫温泉。ねぶたシーズンで青森駅近くの宿泊はほとんどが満席状態だったので已む無くこちらを選択したのだが、有名な温泉地なようで海水浴場も近くにある素敵なところだった。その中のすみれ荘に宿泊したのだが、話を聞くとそれでも往年よりも客数が減っているとのこと。この時期が大きな稼ぎ時であるにしろ、収益が伸びないような感想を漏らしていた。民宿の方の対応はやたらに世話をやくわけでもなく適度に親切で好感が持てるものだった。
ねぶた祭りは18:30頃から始まった。はっぴを借り、ハネトとして参加するメンバーは一つのねぶたに50人くらいはいただろうか。「らっせらー、らせらー」の掛け声に合わせ跳ねていくハネトは半数ほどが県外からの参加と思われる。ねぶたは団体ごとに一つ出し、スポンサーとして企業がつくような形をとっていた。僕が参加したところは消防第二分団のアサヒビール協賛で、アサヒビールの社員の方も参加しておりビールを飲んでの参加であった(笑)ねぶたを担ぐのは地元の高校生らしい。近くにいた高校生に話を聞くと、バイトとして一晩市内を廻ることになっているようだ。予想として地域の集まりが担いでいると考えていたので、祭りを維持していくためにバイトを集めなければいけない現状には少々落胆した。しかし、もはやこういった祭りの意義さえも問い直される中、それでも祭りの持つエネルギーに素晴らしさを感じるのは僕だけではないだろう。日本を代表する祭りに参加する喜びと、外部からの参加者という二つの側面によって成り立っているということに複雑な思いを感じながらも青森の夜は一瞬の激しさと儚さを魅せた。
盛岡さんさ踊り
2004年08月03日 23:39 | com: 0 | tb: 0

東北の祭り第一弾。
青春18切符で東京を朝5時に出発。途中、仙台で牛タンを食べるなどして盛岡に着いたのは出発から14時間経った午後7時過ぎだった。
盛岡の駅前は浴衣姿の人が目立ち、祭りの気分が高揚してきた。祭りの持つワクワクする要素は若者にも大人にも平等に楽しさを演出する。駅前から市街へと向かっていくと、祭りに向かう人々と駅に向かう人々の2つの流れに戸惑いを覚えた。さんさ踊りは3日が最終日であり、そういった影響もあるのだろうかと思いながら中心へと歩く。
さんさ踊りは行列を組んで笛や太鼓を鳴らしながら踊りを披露する。踊りは各団体に任されれており、それぞれがオリジナルの振りやステップで舞う。地元企業や公共団体が積極的に祭りに参加している姿を見て微笑ましかった。
そして飛び入り参加も出来るということで見よう見真似ながら列に交じることにした。体験してその思いが強くなったのだが、祭りは参加してこそ楽しめるもので、見ているだけでは楽しさは半減してしまう。祭りの持つエネルギーを取り入れなければいけないのだ。
祭りの後に食べた冷麺は喉ごしがすっきりしていた。西瓜を入れるのが盛岡流なのかという疑問は残ったが、事実はどうなのだろう。
デジタルセルフポートレート講座2000-2004展覧会
2004年07月31日 13:56 | com: 0 | tb: 0
SFCでのデザイン言語ワークショップEの過去作品を公開する展覧会が7月30日横浜ポートサイドギャラリーでオープンした。この展覧会の企画は以前から持ち上がっていたが、遂に開催される運びとなった。
テーマは「二十歳の哲学・つくること、みること、かんがえること、そしてそれを同時に行うこと」。授業の説明を軽くしておくと、デザイン言語ワークショップEは、自らの顔を材料として画像処理ソフトなどを用いて加工し作品をつくっていくというもの。アンディ・ウォーホルやピカソの絵を参考に、また固有色とは何かということを突き詰めていく中で、人間が如何に先入観をもって対象を見ているかを知り、他人の意見や価値観も受け入れていき、自らを問い直す作業を行う。テキストと作品との整合性に苦悩し明け暮れた日々は、まさに作品と格闘し、自らを鍛え上げるものであった。
さて、会場の作品の様子は次の通りである。




過去の授業での議論風景を収めたVTRや最終提出資料をまとめたもの、プロジェクターを使って壁面に大きく映し出される作品の歴史など、大きな会場を活かした試みがされている。是非、ゆっくりと鑑賞していただきたい。
今回一年ぶりに自らの作品と対面し、また他の人の作品を観ていたわけだが、じっくりと思いを巡らせていると当時の自分では考えつかなかったものが込み上げてくる。過去を振り返り、現在を問い直すことがどれほど大切なことかを再認識した。そういった意味で過去の受講生は足を運んでみる意義があると思うし、逆に一般の方でも美大生でもない学生の作品がどのようなものなのかを観てほしい。
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URL: http://web.sfc.keio.ac.jp/~t02655sn/e/index.htm
会場地図: http://www.ycs-ap.com/map/map.html
慶應義塾大学環境情報学部
吉田暁子クラス
デジタルセルフポートレイト講座2000-2004
二十歳の哲学
つくること、みること、かんがえること
そしてそれを同時に行うこと
会 期 2004年7月30日(金)-8月6日(金)
11:00~18:00 (日曜・祝祭日休廊)
会 場 ヨコハマポートサイドギャラリー
〒221-0052 神奈川県横浜市神奈川区栄町5番地1
横浜クリエーションスクエア(YCS)1階
Tel・Fax : 045-461-3033
URL : http://www.ycs-ap.com
e-mai : information@ycs-ap.com
主催・企画 デジタルセルフポートレイト展実行委員会
(過去4年間の受講生の有志による)
URL : http://web.sfc.keio.ac.jp/~t02655sn/e/
e-mail :teams_yoshida@yahoo.co.jp
協 賛 株式会社 東芝
ヨコハマポートサイドギャラリー
1000000人のキャンドルナイト
2004年06月16日 14:36 | com: 1 | tb: 0

でんきを消して、スローな夜を 『1000000人のキャンドルナイト』 2004年6月19-21日 20-22時 夏至
今年もキャンドルナイトが開催されるようです。
去年は存在こそ知っていたものの参加しませんでしたが、今回はその神秘的な催しにone action起こしてみたいと思います。
ほかにも『10万人のブロッガーズキャンドルナイト』という、ブログを利用した盛り上げ方も行われるようです。
当日はモブログを使った取り組みをするようで、各人思い思いのキャンドルナイト模様を集めていくみたいです。
-------1000000人のキャンドルナイト
以下、詳細です-------
どんどん転送して、くらやみのウェーブを広げよう。
参加登録はこちらから>http://www.candle-night.org/jp/apply/
参加登録すると、あなたの住んでいる地域に、ココロノアカリが灯ります。
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でんきを消して、スローな夜を ☆
☆ 『1000000人のキャンドルナイト』
2004年6月19日~21日 20時~22時
夏至
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昨夏、灯りをともした人も。今夏、はじめて知った人も。
100万人のキャンドルナイト 2004 夏至
(転送歓迎)
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100万人のキャンドルナイトとは
2004年6月19日~21日 20時~22時。夏至の日とその前の休日の夜、2時間。
みんなで電気を消して、キャンドルを灯そうという市民発のイベントです。
昨年の夏至からスタートしました。
個人、NGO、企業、団体。環境省もパートナーとして参加しています。
昨夏の夏至には・・・
2003年の夏至の夜には、全国で500万人が参加しました(環境省推計)。東京タワーや姫路城など全国2030箇所の施設もでんきを消し、NECは約 1万人の社員と家族全員で、岩手県は全県あげて参加表明するなど、企業や自治体も多く参加しました。
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呼びかけ人
辻信一(明治学院大学教授/NGOナマケモノ倶楽部世話人)・藤田和芳(大地を守る会会長)・マエキタミヤコ(NPOサステナ代表/コピーライター)・ 竹村真一(京都造形芸術大学教授)・枝廣淳子(ジャパン・フォー・サステナビリティ共同代表)・池田徹(生活クラブ生協・千葉 理事長)・米谷啓和((社)日本青年会議所 会頭) 以上、代表。
中嶋朋子(女優)・倉本聰(富良野塾)宮崎あおい(女優)・立松和平(作家)・加藤登紀子(歌手)・黛まどか(俳人)・鎌田慧(ルポライター)・窪塚洋介(俳優)・C.W.ニコル(作家)・渡邉美樹(ワタミフードサービス(株)代表取締役)・他多数(敬称略・順不同)
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私たちは[100万人のキャンドルナイト]を呼びかけます。
2004年の夏至の日、6月19、20、21日夜、8時から10時の2時間、
みんなでいっせいにでんきを消しましょう。
ロウソクのひかりで子どもに絵本を読んであげるのもいいでしょう。
しずかに恋人と食事をするのもいいでしょう。
ある人は省エネを、ある人は平和を、
ある人は世界のいろいろな場所で生きる人びとのことを思いながら。
プラグを抜くことは新たな世界の窓をひらくことです。
それは人間の自由と多様性を思いおこすことであり、
文明のもっと大きな可能性を発見する
プロセスであると私たちは考えます。
一人ひとりがそれぞれの考えを胸に、
ただ2時間、でんきを消すことで、
ゆるやかにつながって「くらやみのウェーブ」を
地球上にひろげていきませんか。
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5つのしてほしいこと
● おうちでキャンドルを灯す
おうちでゆっくりキャンドルを灯す。
家族と、友人と、恋人と、ペットと。
闇にちらちら揺れる灯の下で、しゃべったり、ごはんをたべたり。
ひとりでゆっくり、お風呂をたのしむ。とっておきのお酒をあける。
環境のこと、平和のこと、いのちのこと、遠くにいるたいせつな人のことを考えてみる。
もちろん、なんにも考えずにぼーっとする時間も、いい。
2時間、キャンドルの灯のしたで、なにをするかは自分しだいです。
100万人の100万通りのキャンドルナイト。
● イベントにいく
外でわいわいキャンドルを灯す。
去年は東京タワーを中心に、2300箇所のでんきが消えました。
今年もたくさんのイベントが予定されています。
● イベントをひらく
「100万人のキャンドルナイト」の主催者は、参加するひとりひとり。
小さくても大きくてもイベントの主催者です。
こんなイベントがあるよ。みんなと一緒に楽しみたい。
そんなときには、主催するイベントの登録をしてください。
公式ホームページに掲載させていただきます。
また、送料をご負担いただければ、公式ポスターやチラシをお送りします。
イベントの広報におつかいいただけます。
イベントを登録したい→http://www.candle-night.org/jp/event/openev.html
ポスターやチラシが欲しい→http://www.candle-night.org/jp/pr/index.php
● 参加するきもちをおくる
家でキャンドルを灯す人も、イベントに参加する人も、
「わたしもやるよ」としらせてください。
参加登録をすると、ホームページ上のお住まいの地域に灯りがつきます。
日本中でどのくらいの人が参加したのかがわかるキャンドルスケープ。
ゆるやかなみんなのつながりを感じてみませんか。
参加登録された方には、ニュースレターが届きます。
どんどん広がっていく100万人のキャンドルナイトの輪を、お知らせします。
参加登録をする→http://www.candle-night.org/jp/apply/
● おかねで支える
100万人のキャンドルナイトは市民発の草の根ムーブメント。
運営にかかる費用は、すべて賛同金でまかなわれています。
みんなでキャンドルナイトを楽しめる、企画や仕掛けをつくるために
個人でも、団体でも大丈夫。ぜひぜひご賛同ください。
ホームページにお名前、団体名等を掲載させていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
賛同金を寄付→http://www.candle-night.org/jp/charity/
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その他、くわしい情報やニュースなどは、公式ホームページで。
- http://www.candle-night.org/ -
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やわらかな灯りとしずかな夜に、みんながつながる。
このムーブメントに共感していただけたならば、
たくさんの人に100万人のキャンドルナイトをお伝えください。
夏至の夜、でんきを消して、スローな夜を
- http://www.candle-night.org/ -
SFC Visionary Gathering NO.1
2004年05月31日 02:44 | com: 0 | tb: 0
先日28日夕方、ドコモハウス界隈でSFC Visionary Gathering NO.1が催された。
▼趣旨
慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)に於いては、研究活動や課外活動などのプロジェクトが様々な単位や主体で行われており、キャンパス内においても、社会的にも高い変化率とインパクトを保持している。これらのプロジェクトを行っている学生の間に交流を場を作る事で、コラボレーションのきっかけを見出すと同時に、新入生などのまだプロジェクトを知らない学生やこれから活動を興そうとする学生への刺激を与える事で、日本のヴィジョナリー(アーリー・アドプター)としてのSFCのポジションを確立する事を目指し、SFC VisionaryGathering(SVG)を開催する。
▼参加プロジェクト
・SFC Incubation Village(http://www.siv.ne.jp/)
・spring(http://spring.sc.keio.ac.jp/)
・小檜山賢二研究プロジェクト(http://wem.sfc.keio.ac.jp/)
・Triggers! (http://blog.sfc.keio.ac.jp/)
・SFC REVIEW(http://sfcreview.sfc.keio.ac.jp/)
・ケータイラボ(http://ktai.sfc.keio.ac.jp/)
・SFC CLIP(http://compress.sfc.keio.ac.jp/clip/)
多くの人が集まった。開始時点で40人近くはいたはずだ。
このような場で次に繋がる関係を築くことができれば素晴らしいと思う。
主催者の一人である大月さんによると、以前のSFCでは今回のような横断的な繋がりができる機会が多く催されていたらしいが、最近ではもっぱら少なくなってしまったとのこと。
確かにそういった傾向は肌で感じる。
やはりSFCが創設され14、15年になり、もはや普通の学部になってしまったことが影響しているかもしれない。もう創設時の煮えたぎるようなスピリットはないのだろう。
既存の学問体系に捉われず横断的に関わり問題を解決していくことを目標とされたSFC。
この理念をもう一度問い直す必要があるかもしれない。
大月家
2004年01月18日 02:17 | com: 0 | tb: 0
今日は大月さんのお宅へお邪魔させていただきました。
先日の新年会に洩れてしまったから実現できたことなのですが、楽しかったです。感謝感謝★
暁信くんみたいな小さな子と触れ合うのは本当に久しぶりでした。子どもがいる家庭って雰囲気が違って、なんだかほっとする気分になるのです。見ているだけで自然と笑ってしまう。あの顔を見てると悪いことしようなんて思えないなあ。音楽にちゃんとリズムを合わせて踊る姿には感激して、子どもってすごい可能性があるんだと思いました。
奥さんのまゆこさんも母親としてしつけには注意しているようで、僕らはかわいいからあやしてしまうところをきちんとしつけしていたので感心しました。親になると落ち着きがでるんでしょうか。とってもキュートな上に大人の魅力を感じました。
途中で帰ってしまって残念でしたが、忙しい中の一時の和みになりました。
大月さん招いてくれてありがとです。
ドコモOB来訪
2003年12月28日 02:26 | com: 0 | tb: 0
今日は研究会の就職イベントというような題目で、ドコモに勤めている平野さんがドコモハウスに訪れてくれた。研究会からは10人ほどが参加した。
初めてお会いしたのだが、25歳の好青年(といっては失礼か)で、僕は役員クラスの方が来ると思って少々身構えていたところ、カウンターパンチを喰らってしまった格好だ。
平野さんの経歴を紹介すると、慶應義塾の経済学部を卒業後、NTTドコモに入社。始めは神奈川支部の法人営業部を担当し、3年目の今期、ユニバーサルデザイン部(?全くデタラメのような…)に異動して、万人に受け入れられるケータイのデザインの企画などをしているそうだ。
話をしているときにメモをとらなかったので、覚えていることを書いていこう。
まず平野さんがドコモを志望したポイントは、「ケータイってかっこいい」、「ケータイというツールを用いてのコミュニケーションの力」、「人のためになりたい」といったことと記憶している。在学中、体育会の剣道部に所属していて後輩の面倒見もよかったことから、誰かが楽しんでくれれば自分も満足できるとおっしゃっていた。僕は、まず自分が楽しめなければ相手が喜んでくれてもなかなか満足感を得ることが出来ない性質なので、彼の献身的な精神は賞賛するとともに、社会で必要な人物であることを認識した。
しかし、どうして就職したのかという問いには上手く返事を戴けなかった。ドコモで仕事をすることがどれだけ自己実現に繋がるのか、それが会社にとって役に立つのか、また社会に還元できることがあるのか。そもそも現段階で働くことの意義を見出せていないのでイメージが涌かなかったのだろう。
その他の話は、年明けに発売されるFOMA900iシリーズのことや社内の研修制度、仕事の流れについてなどに及んだ。
終盤に今研究会のプロジェクトで進めている携帯コミュニケーションサイトfondueについて、ユーザーの生の意見を吸い上げる機関を提供してドコモとリンク出来ればという話をした。これに少々興味を持っていただけたようなので、今後資料を用意してしっかりと提案したい。
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cafe blog:ドコモ平野さん来訪
研究会クリパ
2003年12月19日 02:54 | com: 149 | tb: 0
今日はみなさん、お疲れ様でした。
素敵な場所のセレクトありがとね>じょーこ
ちらちらと今後の動向が気になるところもありましたが、
より一層の盛り上がりを期待して、年内の研究会は幕を閉じたのでした。
K-gle(ケータイ輪読会)続き
2003年10月18日 17:15 | com: 126 | tb: 0
題目
・日本とフランスのメールについて
・イスラエルのケイタイ利用
・IM(インスタントメッセージ)アメリカの事例
計10人くらいの集まりでしたが、これくらいの規模だと話が進むようです。
ぽっと出てきたアイデアも話しやすいし、内容も濃いものになる。
K-gle(ケータイ輪読会)


ドコモハウスにてK-gle(ケイタイ輪読会)が13:00から行われています。
僕は初めての参加で楽しみです。
K-gleの趣旨というと、海外の文献を読み、海外でのケイタイの利用実態や文化などを探るというものでしょうか(?)多様な価値観を得ることは、かなりプラスになりますね。

