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てっぺん!の朝礼

2008年03月29日 15:48 | com: 0

勢いで購入した「てっぺん!の朝礼」。
居酒屋てっぺんの社長である、大嶋啓介さんの著作です。

てっぺんとの出会いは、大学の研究室での師匠、小檜山先生の誕生祝いをてっぺんの渋谷店で行なったことに始まるのですが、その際に朝礼を体験しました。
少々恥ずかしい気持ちもありながら、やるからには思いっきりやるという心持ちで望んだのを記憶しています。そのときのNo.1宣言では「おはようございます、こだわる男日本一でいきます、お願いします」と宣言しました。
じゃあ、何をこだわるのか?と問われると、生き方にこだわるということを考えていたと思います。次にどんな生き方なのか?と問われると、物事を追求する、また、物事を一面的ではなく、多面的に見るという生き方をしたいと考えていました。
そして、何故?と問われれば、人生をより楽しみたいからと答えます。知らなかったことを知り、新しいことを発見するという作業が好きだからです。

自分の気持ちを振り返ってみて、2年前から一貫していることに変わりがないことに気づいています。ただ、具体的な成果となっているか?というと、まだまだ物足りなさを感じています。今すべきことは、小さな具体的な行動でしょう。

初めてのてっぺんを経験してから、その後、自由が丘店、桑名店と、当時存在していた全ての店舗を訪れました。
桑名というのは、大嶋さんの出身地でもあり、僕の出身地でもあります。また、店長も桑名出身だそうです。
そんな程度の共通点しかありませんが、それだけでも行動を支える大きな力となっています。

著作の中に「バカになれ」という記述がありますが、開放的な精神を宿すことによって、前向きな原動力を得ることができることは重要です。とてつもなく平易な文章で書かれていることが、理詰めではなく感情に伝えるという狙いが込められているのだと思います。

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不確実性の時代

2008年03月27日 00:28 | com: 0

ガルブレイス著の不確実性の時代を読んでいる。
経済思想史について、経済学者の成した成果や影響を丁寧に説明しながら紹介を行なっている、実に読み応えのある著作だと感じている。
経済思想が資本主義や社会主義などのイデオロギーの正当性を裏付けることによって、歴史が動いてきたという見方は興味深い。
斎藤精一郎氏の訳がうまく、とても読み易いと思われる。

近所のブックオフで100円で売られていることを発見したとき、かねてから気になっていた著作だったので即買いをした。もともと文庫本なので価格は高くはないのだが、名著が惜しげもなく100円で売られているのは、嬉しいやら悲しいやら。
とにもかくにも、自分が小額の出費で楽しめるというのはよいことなのかもしれない。

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潮騒-三島由紀夫

2006年03月07日 01:11 | com: 0 | tb: 0

三島由紀夫の小説、潮騒を読みました。

この小説では三重県の神島が舞台となっており、作品中では歌島という名称で登場しています。
主人公の男の子が漁に出掛けたり、燈台から見る景色として、答志島や知多半島、渥美半島が出てくるのです。

答志島は小さな頃臨海実習というものがあって、鳥羽の港からフェリーで出掛けていった思い出があり、特にあそこで見た夜光虫は記憶に鮮明に残っています。海面に石を投げると夜光虫が反応して、薄緑色にぼんやりと光るのが小さな僕にはとてつもない驚きと感動をもたらしました。

地図で確認すると、答志島や神島は伊勢湾と太平洋を隔てるところに位置しています。正確にはどちらかの海に属するのかもしれませんが、よくよく見ると、渥美半島の先端である伊良湖にとても近いことを確認しました。これまで特に意識することもありませんでしたが、船という移動手段ではありますが、三重県と愛知県はここでも繋がっているのですね。

地元とは呼べないまでも、出身県であり、付近の島を訪れたことがある身にとっては、小説の舞台となっていることに対して、何らかの喜びのような感情が出てきます。ただ贔屓にしてしまうだけなのでしょうが、それでも愛着のようなものは拭いさることは出来ないようです。
北九州市にある門司の港に立ち寄る場面もあり、昨年の夏に電車で近くを通ったことがあるだけでも、あの門司か。などと親近感が湧いてしまったのです。それまでは何と読むのかもわからなかったくらいなのに。

ともかく、最近は伊勢志摩の美しい景観に接することがなかったので、もし機会があれば足を踏み入れてみたいなと思ったのでした。海女さんの素潜りは現在でも見ることができるのでしょうかね。

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小説に学ぶ

2006年02月14日 12:47 | com: 0 | tb: 0

池波正太郎さんの「男の作法」というのを読んで、自分にとってトリビア的だったものを紹介しようと思います。
トリビア的というのはなんですが、僕が昔から思い込んでいて、特に深く考えることなく消化していた概念というものになるのでしょう。というのは、風邪を引いたときは風呂に入らないほうがいいということを小さな頃から聞いていて、はあ、そうなのかというぐらいにしか思っていなかったことなのですが、僕は風呂に入った後、湯冷めをすることが体によくないのだろうと思い込んでいました。全く検討外れというわけではないのでしょうが、特に調べもせずにそのように納得していたのです。とはいうものの、僕は風邪を引いたときもしっかりと風呂に入り、湯冷めをする前に寝てしまうことで風邪を治していたものです。
ところが、池波さんが言っているには、入浴はしても背中は洗わないほうがいい、背中の脂を流してはいけないと言います。なぜなら、背中がカサカサになるとそこから風邪が侵入してくるからということです。
こんなことが書いてあって、なるほどと思いました。そういう考えもあるんだなと。今まで思い込んでいたものが間違っているのかどうかはわからないのですが、風呂に入らないことの意味について、このような見解があるということを知っただけで何とも得をしたような気分になったのです。
もちろん、googleでその真偽や他の要因についても調べることはできるのでしょうが、今回はこのままにしておこうと思います。

他にもこの本には、はっとさせられる生活の知恵がたくさん詰まっていて、目からウロコものなものとなっております。

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アルジャーノンに花束を

2004年06月03日 01:40 | com: 0 | tb: 0


幸せって何だろうと思ってしまう。
主人公のチャーリー・ゴードンは賢くなればみんなが認めてくれると思い込んでいたが、逆に周囲の人々に脅威を与える存在になってしまった。
知らぬが花という言葉があるように、知ってしまうことによって余計な心配事が増えてしまうこともある。
知識をつけることが必ずしも幸せであるというわけではなく、人それぞれに価値基準が異なっているため自分自身を把握することが大切なのだろう。

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インザ・ミソスープ

2004年04月29日 18:22 | com: 0 | tb: 0

村上龍の作品。
フランクというアメリカ人とケンジの話。

河合隼雄の解説にも述べられていたが、
「『イヤだ』~何か言うのと、伝えるというのは違うのだと初めて分かった」が印象に残り、
このとき石原慎太郎の「NOと言える日本」を思い出した。

フランクのような強大な存在に対して、媚を売ったり、無抵抗でいることがどれほど情けなく価値のないものか。
例え力が及ばないとしても、はっきりと意思を伝えることが必要なのだ。

ミソスープと呼ばれるぬるま湯の中で生きている日本人。
決して忌み嫌われる部分だけではなく、独自の美徳も存在する。
しかし豊かさの代償に失ったものは非常に多く、自身を含め取り戻さなければならないものを提示された気分だ。

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希望の国のエクソダス

2004年04月23日 23:02 | com: 462 | tb: 0

村上龍の作品。
「この国には何でもある。だが、希望だけがない。」という言葉が印象的だ。

経済大国日本に生まれ、何不自由ない生活が当たり前のように存在している。
これといって不満があるわけではなく、楽しいこともある。
しかし、希望だけがない。

日本はある意味、きれいすぎる国になってしまい、ギラギラした欲望を失ってしまった。
挑戦することを忘れ、危機感がなくなっている。

話の中で老人を忌み嫌うような場面があるが、つまりは目指すべきモデルが存在しなくなったことを示していると思う。
知識や経験の源泉は先人にあるのではなく、インターネットと呼ばれる情報の網に張り巡らされているのだと。

これ以上の経済的発展は重要ではなく、人間としての本質を見出すことが必要である。
それに気づかずに生活していくことは何の価値もない。
旅。アジアで感じたものには何らかのエネルギーが込められていた。
胸の奥深くに眠っているものを何とかして吐き出したい思いに駆られた。


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村上龍と小熊英二の対談内容 JMMから

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ラブ&ポップ

2004年04月18日 00:15 | com: 3 | tb: 0

村上龍の作品。
援助交際をテーマにした内容で、伝言ダイヤルやテレクラなど、今まで全く触れてこなかった現象についてのものだったので刺激的だった。

そもそも援助交際とは忌み嫌うものなのかというテーゼに対し、
世間一般のモラルには反していると言えるかもしれないが、絶対的に批判するものでもなく、それらは相対的に捉えられているものである。
と提示していると感じた。

中でも、時間が経つことによって失われていく興味については共感できた。
所詮私たちは通過していく時において、相対的な価値を見出しているのかもしれない。

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