WBCで思ったこと
2006年01月12日 22:03 | com: 0 | tb: 0
なんだか思いついたのでエントリー。
タイトルのWBCって何?と思うかもしれないけど、World Baseball Classicの略称。ボクシングでも同じ呼び方があったような気がするけれど、なんだかんだいって、こうやって短くまとめてしまうのが常なんだろうね。
さて、そんなことは全く今回の趣旨ではないのです。とはいっても大したことを言うつもりもありませんが。
大学から知り合った人には案外知らない人が多いと思うのだけど、僕は小学校3年から高校の終わりまで10年間野球をやっていました。
今は23歳になったけど、ほぼその半生を野球をして過ごしてきたわけです。
その期間が長いのか短いのかの感じ方は人によって違うと思うけれど、僕はなんだかんだ長い期間続けてきたなと思う。
一つのことをこれだけ続けられたというのは、上手下手は関係なくて、ある意味で自信になるし、自分を支えるものになっているのは事実なんだろう。
でも、今はどうかというと、ほとんど野球に触れることはない。
実家に帰ったときに、友達に誘われてやったりしているくらいで、定期的にというわけにはいかない。
別に嫌いになったわけではなくて、実際好きだけど、今はサルサをやりたいという気分が勝っているような状態だと思う。
ただ、そういうこと全般に言えることだけど、僕は観るよりもやるほうが好きである。
もちろん観るという行為もいいと思うけれど、一般の人が感じている以上に、僕は観るという行為を尊重していないような気がする。
どうも根本的なあり方としては、当事者でありたいという意識がはたらいているみたいです。
だから、大学では高校時代ほど野球に真剣に取り組めないだろうということや、何か新しいことを始めてみたいということ、勉強もしたいという思いから、野球のサークルにも参加しなかった。
そんな僕だから、最近は野球を巡るニュースも多かったけれど、あまり何とも思わなかったりしていました。
今回のWBCのことも、国際的な野球の大会ということはわかったけれども、なんだか知らないうちにこうした大会とかは増えていくなあ、そして開催されて終わっていくんだなあ、というくらいにしか認識していなかった。そこに当事者性はないわけです。
ちょっと調べれば、WBCの特徴はわかります。
国際的な野球の大会に、今まではメジャーリーグの選手は参加できなかったのだが、WBCには参加できるようになっているんですね。
そういえば、オリンピックも日本だけのことかもしれないけれど、ちょっと前まではプロの選手を参加させないという方針だった。今はプロアマ混合のチームでオリンピックに参加するようになって、アマチュア選手のオリンピック出場の機会が事実上減ってしまうということについては、話題に上がっていたようにも思う。杉浦さんというピッチャーは社会人で野球を続けていて、アマチュアでオリンピックを目指すというのを貫き、誇りを持ってやっていた。
最近の動向は、あらゆる制限をなくして、レベルの高いものを観ることができるように動いているのかもしれない。
ただ、今回のWBCも「国」という単位で括られたもので、どこの国が世界一かを決めようという大会であって、レベルの高さということから考えれば、よっぽどメジャーリーグを観ていた方がおもしろいような気がする。もちろんメジャーリーグにもいろいろなチームがあって、なかなか振るわないところもあるということを忘れてはいけないけれど。
野球選手がどういうものかを考えてみると、かれらはプレイヤー、アスリートなどと呼ばれている、一人の人間なんだけれども、野球がチームで行なわれるということから、必然的にどこかに所属する必要がある。
所属について見ると、球団であるとか、実業団、学校、地域、国など、様々な種類があって、選手は一人の人間ではあるが、あらゆる集団に属することができる。でも、集団に所属することが自由な意志によって可能かといえば、必ずしもそうではない現状がある。
地域のチームであれば、会費を払うとかして、人間関係をうまくやっていけば、よっぽどのことがない限り追い出されることはないと思う。でも、プロや実業団でプレーする人たちは、その対価として賃金をもらっているわけだから、戦力外と通告されることがある。
本人の意志にそぐわない状況というのは、常々あるものだ。元木や清原だって戦力外通告を受けて球団を去らなければならなかったのだから。
そこで、これまでぐだぐだと書いてきたのだけれど、何が言いたかったのかといえば、国という集団でプレーする選手というものについて考えてみたかったのです。
国の代表としてプレーできるということは、おそらく名誉なことなんだと思う。だけど、国という単位で区切ることがどういう意味を持つことになるんだろう。そこには一種の制約のようなものがあるように思う。
メジャーリーグに挑戦していく日本人ということで見れば、日本人でも世界で通用するんだという感動を与えられるかもしれない。それが勇気を与えてくれて、頑張ろうって思える人がいれば、とてもいいことのように思える。
そして、そういう選手が日本に帰ってきて、日本のためにプレーするという姿を見るのは、なんだか誇らしいような気もしてくる。
でも、選手は何らかの集団に属しているとはいっても、そしてそれが必要だとはいっても、もしかしたら集団という足かせに悩んでいるんじゃないかとも思う。例えば、イチローはあっさりと参加を決めたのに、松井や井口が日本のチームに入らないということについて、残念だといえば残念だ。かれらがどうしたいかはわからないけれど、クラブチームに雇われている以上、オーナーなどの雇い主の意志に従わざるをえないということはわかる。一方、国は選手を雇っているわけではないから、それほどの強制力を持っているわけではないけども、世論というか、雰囲気が後押しをして、一定の力を帯びてくるようになる。
選手はプレーは一流でも、そういった契約関係になると、なかなか自分の意志を通すことができなくて、そういう意味で日本を飛び出してメジャーリーグに行ってさえも相変わらずごたごたに悩まされている。
自由に近づきたくて力をつけたのに、それがかえって自由を妨げる結果になる。そういうジレンマって往々にしてあるんだなと思ったわけです。
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