El Ciclon De La Habana
2006年01月29日 17:32 | com: 4 | tb: 0
チャランガ・アバネーラの新作「El Ciclon De La Habana」が届きました。
日本語解説付のものをアオラ・コーポレーションで購入しました。
楽しみたいっす。
week day
ここ2、3日のことをまとめて書こうと思います。
金曜日は教職ゼミのみなさんと昼食を食べにいきました。
三田のサイゼリアは初めていったのですが、地下にあるものの、案外広くて正午前に訪れたので難なく座ることができたのです。先生を入れて5人、途中からは6人になっておしゃべりが始まりました。
学期中は和やかな雰囲気ではありながらも、民間教育団体についての議論をしていたので、私生活というか個人の興味などにはほとんど触れることはなく、それぞれがどのような志向性を持っているかは多くがわからないところでした。その内容といえば、コレクションはあるのか、部活動は何をやっていたのかなどなどだったのですが、先生が飛行機の離陸・着陸が好きで、その映像作品を持っていることが僕たちの興味をそそったように思います。そもそも、誰にでもコレクションをする特性があるのかもしれないのですが、よくよく考えてみると僕にはそこまでコレクションと呼べるものはないかなと気づきました。そのときは音楽CDと答えたのですが、おそらく人並みなものだと思います。僕は物欲はあるのですが、必ずしも手元に置いておきたいという欲求はそれほど高くはなく、自宅もさっぱりとしているのです。ブランドへの志向性はあるのですが、高級ブランドというわけでもないし、やはり基本的にさばさばしているのだろうと結論づけた次第です。
3時間ほどおしゃべりをして、また3月にも集まれたらいいねといって、別れました。
土曜日は学部時代の研究会の最終発表を見に行きました。
近年は恒例となっている、一日かけて朝から夕方まで発表をするというスタイルです。
途中参加して、早退しているので、なんともかいつまみなものになってしまいますが、この3月に卒業する4年生の卒業制作の発表を聞いていると、かれらの今後の方向性にも絡んでくる主軸が表れているような気がしました。卒業論文や卒業制作は大変な作業を伴うものですが、ここでの成果が個人の価値観を形成する要素になることは、自分の経験からも感じています。なにはともあれお疲れさま。後輩も卒業なのです。
プレゼンテーションをただ聞くという立場にいると、なんだか物足りないものだなと思ってきました。やっぱり自分も何かを伝える立場でいないと、主体的に関われないものです。自分の感性が鈍っているようにも感じられたので、いい刺激を受けました。これからの励みとしましょう。
LATIN CDs
2006年01月26日 16:59 | com: 0 | tb: 0
無性にLATINのCDが欲しくなったので、新宿のDISC UNION本店に立ち寄った。ここの4Fはラテン/ブラジルフロアであり、中古から新品まで狭い場所でありながら充実している。数少ない売り場の中でも僕はここがお気に入りである。
実はCHARANGA HABANERAの新譜が発売されたので覗いてみたのだが、まだ置いていない様子であった。とはいえ、その新譜はネット注文しているので、しばらくしたら家に届くはずなのだが。
今回買ったCDは
Yovani 「Esposa y Amante」
David Calzado y su Charanga Habanera 「Soy Cubano, Soy Popular」
Salsa Ritmo Caliente 「Tibiri」
Tito Puente 「Tito Unlimited」
Orquesta de la Luz 「DE LA LUZ」
Casa de la Trova Vol.1コンピレーション
Descarga Total 「Maraca」
知っていて買ったのもあれば、知らずに買ったのもある。曲が手元にあるのにCDが欲しくて買ったのもある。とはいえ、LATINの音楽は大手のレンタルショップでは借りることが出来ないので、CDを購入していかないといけない。気に入るか気に入らないかはわからないが、とりあえず買ってみる。お金に余裕があるわけではないので、無節操に、というわけにはいかないけれど、少しずつ増やしていきたい。
正直、現在手元にある音楽はそれほど多くないのだ。
CALIENTE!
2006年01月25日 11:50 | com: 0 | tb: 0
NG LA BANDA、ISSAC DELGADO、CHARANGA FOREVER、CHISPAS Y LOS COMPLICESら4バンドが登場するDVDを購入しました。
この映像は2001年3月9にハバナで2万人を集めて行なわれたライヴを収録したもので、現場の熱気が観衆の様子を見ていて伝わってきます。会場はハバナのマレコン通りに面していて、新市街地区のホテル・ナシオナルの前に設けられていました。
音楽としては普段聞いていても、かれらがライヴでどのようなパフォーマンスをするのかはほとんど知らなかったのです。音楽CDを買っても、フライヤーのような紙切れが一枚だけ入っていて、メンバーの写真が載っているだけで歌詞さえないということもあるので、アーティストの情報というのは案外少ないものです。
これまでCHARANGA HABANERAやBAMBOLEOのライヴを見てきたことから、もちろん音楽はすばらしいけれど、なんといってもライヴでのパフォーマンスがかれらの真骨頂かなという印象があります。
今後、かれらの映像を見ることができる機会が増えることを期待しています。
井澤が街にやってきた
2006年01月22日 23:42 | com: 0 | tb: 0
大学の友人である井澤が東京に出てくるというので、これは会っておかねばならないと思った。
今品川にいるから、これから川崎に向かうわなんていう電話があり、ラチッタデッラで待ち合わせをすることになった。彼はくだけたスーツ姿で登場し、幾分老けたような風貌をしていた。
東京で研修があるということで今回訪れたようなのだが、話を聞くと2日前まではタイに行っていたという。1週間ほど滞在して、バンコクやサムイ島を廻り楽しんできたようだ。タイへは1回目は僕と二人で出掛けているのだが、彼は今回で3回目になる。とても気に入っている国なのだ。
旅行話を聞いたり、近況を報告し合ったりしながら、山頭火のラーメンを食べ、デザートにタルトとコーヒーをいただく。日曜の午後は、久しぶりにいわゆる休日的な過ごし方をすることができた。意外と休日っぽい過ごし方はできないものだから。
Oasis LatinoでBachata
2006年01月20日 03:04 | com: 1 | tb: 0
横浜の黄金町にあるOasis LatinoでBachataのレッスンを受けてきました。
先生はみっちゃん。Bachataはサルサバーなどで音楽がかかることがあって、基本の動き方をわかったつもりでなんとなく踊っていたのだけど、今回レッスンを受けてきて、こうするんだ〜っていうのがわかりました。
1時間半もの長い間、みっちりと基礎練習をやってくれて、久しぶりの体には少々刺激が強かったけれど、こういうトレーニングっていいなあと思った。やっぱり、ちゃんと体を使わないとうまく動かすことはできないし、大きな鏡の前で確認しながらでないと実際どんな動きをしているかわからないからです。
普段からこれくらい練習していないとうまくならないよね。長いことサルサをやってはいるけども、きっちりと練習をしたことってほとんどないかもしれない。もっとうまくなるために、コツコツと練習することが必要だなと、当たり前なんだけど感じました。
実はBachataのレッスンは初めてだったのです。それでも、知らなかったことが多かったこともあって、とても充実したものになりました。Bachataはとてもなめらかな音楽で、はまればすごく気持ちよく踊れるので、もっとうまくなりたいものです。
私の個人主義
2006年01月14日 22:37 | com: 0 | tb: 0
たまたま漱石のことで調べものをしていたら、青空文庫に遭遇した。
それは、著作権の期限を越えた書物や自主的な作品をネット上で公開して、よりそれらの価値を世に広めようという運動の中から立ち上がってきたようである。
その中で夏目漱石の「私の個人主義」という作品があって、タイトルに惹かれたのもあり、かいつまんで気になったところだけをと思っているうちに、とうとう全てを読んでしまった。もちろんモニター越しに文字を読むのは苦痛ではあるけれども、それほど長いものでもないので、一時間もあれば読みことができるでしょう。
日本の近代化において、批判的な態度をもって臨んでいた漱石の、卓越した意識がここには表れているような気がします。かれの言う個人は、西洋の歴史とともに獲得されていった認識をよく踏まえた上で、日本における個人という意識の獲得の必要性を唱えているのです。
今でも個人主義が叫ばれることがありますが、わたしたちが認識している個人主義と漱石のそれとでは、やはり異なっています。僕としては漱石の考えに概ね共感する立場にいますし、何より今なおその考えが意味をもち続けているところに素晴らしさを感じます。千円札からいなくなってしまって残念です。
かれの話の趣旨というわけではないのですが、分かり易い例として教師の立場から語った部分があります。そこを引用して、教職を志す自らの教訓ともしたいと思います。
あなたがたは教場で時々先生から叱られる事があるでしょう。しかし叱りっ放しの先生がもし世の中にあるとすれば、その先生は無論授業をする資格のない人です。叱る代りには骨を折って教えてくれるにきまっています。叱る権利をもつ先生はすなわち教える義務をももっているはずなのですから。先生は規律をただすため、秩序(ちつじょ)を保つために与えられた権利を十分に使うでしょう。その代りその権利と引き離す事のできない義務も尽(つく)さなければ、教師の職を勤め終(おお)せる訳に行きますまい。
WBCで思ったこと
2006年01月12日 22:03 | com: 0 | tb: 0
なんだか思いついたのでエントリー。
タイトルのWBCって何?と思うかもしれないけど、World Baseball Classicの略称。ボクシングでも同じ呼び方があったような気がするけれど、なんだかんだいって、こうやって短くまとめてしまうのが常なんだろうね。
さて、そんなことは全く今回の趣旨ではないのです。とはいっても大したことを言うつもりもありませんが。
大学から知り合った人には案外知らない人が多いと思うのだけど、僕は小学校3年から高校の終わりまで10年間野球をやっていました。
今は23歳になったけど、ほぼその半生を野球をして過ごしてきたわけです。
その期間が長いのか短いのかの感じ方は人によって違うと思うけれど、僕はなんだかんだ長い期間続けてきたなと思う。
一つのことをこれだけ続けられたというのは、上手下手は関係なくて、ある意味で自信になるし、自分を支えるものになっているのは事実なんだろう。
でも、今はどうかというと、ほとんど野球に触れることはない。
実家に帰ったときに、友達に誘われてやったりしているくらいで、定期的にというわけにはいかない。
別に嫌いになったわけではなくて、実際好きだけど、今はサルサをやりたいという気分が勝っているような状態だと思う。
ただ、そういうこと全般に言えることだけど、僕は観るよりもやるほうが好きである。
もちろん観るという行為もいいと思うけれど、一般の人が感じている以上に、僕は観るという行為を尊重していないような気がする。
どうも根本的なあり方としては、当事者でありたいという意識がはたらいているみたいです。
だから、大学では高校時代ほど野球に真剣に取り組めないだろうということや、何か新しいことを始めてみたいということ、勉強もしたいという思いから、野球のサークルにも参加しなかった。
そんな僕だから、最近は野球を巡るニュースも多かったけれど、あまり何とも思わなかったりしていました。
今回のWBCのことも、国際的な野球の大会ということはわかったけれども、なんだか知らないうちにこうした大会とかは増えていくなあ、そして開催されて終わっていくんだなあ、というくらいにしか認識していなかった。そこに当事者性はないわけです。
ちょっと調べれば、WBCの特徴はわかります。
国際的な野球の大会に、今まではメジャーリーグの選手は参加できなかったのだが、WBCには参加できるようになっているんですね。
そういえば、オリンピックも日本だけのことかもしれないけれど、ちょっと前まではプロの選手を参加させないという方針だった。今はプロアマ混合のチームでオリンピックに参加するようになって、アマチュア選手のオリンピック出場の機会が事実上減ってしまうということについては、話題に上がっていたようにも思う。杉浦さんというピッチャーは社会人で野球を続けていて、アマチュアでオリンピックを目指すというのを貫き、誇りを持ってやっていた。
最近の動向は、あらゆる制限をなくして、レベルの高いものを観ることができるように動いているのかもしれない。
ただ、今回のWBCも「国」という単位で括られたもので、どこの国が世界一かを決めようという大会であって、レベルの高さということから考えれば、よっぽどメジャーリーグを観ていた方がおもしろいような気がする。もちろんメジャーリーグにもいろいろなチームがあって、なかなか振るわないところもあるということを忘れてはいけないけれど。
野球選手がどういうものかを考えてみると、かれらはプレイヤー、アスリートなどと呼ばれている、一人の人間なんだけれども、野球がチームで行なわれるということから、必然的にどこかに所属する必要がある。
所属について見ると、球団であるとか、実業団、学校、地域、国など、様々な種類があって、選手は一人の人間ではあるが、あらゆる集団に属することができる。でも、集団に所属することが自由な意志によって可能かといえば、必ずしもそうではない現状がある。
地域のチームであれば、会費を払うとかして、人間関係をうまくやっていけば、よっぽどのことがない限り追い出されることはないと思う。でも、プロや実業団でプレーする人たちは、その対価として賃金をもらっているわけだから、戦力外と通告されることがある。
本人の意志にそぐわない状況というのは、常々あるものだ。元木や清原だって戦力外通告を受けて球団を去らなければならなかったのだから。
そこで、これまでぐだぐだと書いてきたのだけれど、何が言いたかったのかといえば、国という集団でプレーする選手というものについて考えてみたかったのです。
国の代表としてプレーできるということは、おそらく名誉なことなんだと思う。だけど、国という単位で区切ることがどういう意味を持つことになるんだろう。そこには一種の制約のようなものがあるように思う。
メジャーリーグに挑戦していく日本人ということで見れば、日本人でも世界で通用するんだという感動を与えられるかもしれない。それが勇気を与えてくれて、頑張ろうって思える人がいれば、とてもいいことのように思える。
そして、そういう選手が日本に帰ってきて、日本のためにプレーするという姿を見るのは、なんだか誇らしいような気もしてくる。
でも、選手は何らかの集団に属しているとはいっても、そしてそれが必要だとはいっても、もしかしたら集団という足かせに悩んでいるんじゃないかとも思う。例えば、イチローはあっさりと参加を決めたのに、松井や井口が日本のチームに入らないということについて、残念だといえば残念だ。かれらがどうしたいかはわからないけれど、クラブチームに雇われている以上、オーナーなどの雇い主の意志に従わざるをえないということはわかる。一方、国は選手を雇っているわけではないから、それほどの強制力を持っているわけではないけども、世論というか、雰囲気が後押しをして、一定の力を帯びてくるようになる。
選手はプレーは一流でも、そういった契約関係になると、なかなか自分の意志を通すことができなくて、そういう意味で日本を飛び出してメジャーリーグに行ってさえも相変わらずごたごたに悩まされている。
自由に近づきたくて力をつけたのに、それがかえって自由を妨げる結果になる。そういうジレンマって往々にしてあるんだなと思ったわけです。
EL CAFEの写真
2006年01月07日 17:12 | com: 0 | tb: 0
昨年六本木のEL CAFE LATINOで行なったサルサのクリスマスパーティーの写真が、EL CAFE LATINOのサイトにアップされているという話を友人から聞いて見てみた。
お店が盛況なことをアピールしたいんだろうけど、許可なしの無断掲載。。
こういうことって周りでも普通に行なわれているけれど、商用目的だとさらにマズいと思うんだけどな。
それでもサルサがどんなものかわからないって人のために、写真で雰囲気を感じてもらうのはいかがでしょう。
