大晦日snow
2004年12月31日 17:17 | com: 0 | tb: 0

大晦日も雪が降った。
29日東京で初雪となったが、その日三重北部では雪は降っていなかった。つまり今日の方が寒かったということだろう。やっと冬らしくなってきたともいえるが、寒いのが苦手なのであまり歓迎すべきものでもない。
大晦日に雪が降ったことは過去の記憶にある。10年くらい昔のことだろうか。そのときは夜になって年を越すか越さないかぐらいの時期になって雪がちらつき始めた。そんなときは少しロマンチックな気分にもなったものだが、こう昼間から降ってくるとなんだか気分が悪くなってくる。大晦日から年明けにかけてカウントダウンなどのイベントに出掛ける人は多いと思うが、天気が悪いとなると出掛けようにも出掛けられずに家で過ごさざるを得ないということも起こってくる。そうすると、イベントを見越して準備していた事業体などが奮わずに経済効果が失われてしまう。財布の紐が堅くなっているのに少々奮発してもいいと思えるような機会を失ってしまうというのは大きなことである。
しかし、昼過ぎから雪は雨に変わりとうとう止んでしまった。これでなんとか体勢を整えることができるかもしれない。2004年最後の日と2005年最初の日くらいは大きく振舞ってみるのもいいかもしれない。
年末の東海道新幹線
実家に帰るために東海道新幹線に乗らなければならなかったのだが、やはり年末の帰省ラッシュもあってか乗車率が高い。窓口で指定席を取ろうとしたら1時間も後の新幹線に乗らなければならないという具合に席が埋まっていた。新横浜から名古屋という区間は当然東京駅発なので、新横浜から乗ろうとすると座れない。
やはり早めにチケットを取るべきだったのだ。もしくはエクスプレスEチケットで発券するべきだった。とりわけこれだけネットを使っているのに乗車券に関しては全く触れようともしていなかった。今度はオンライン発行を試しにやってみようか。
自由席のデッキは人で溢れ返っていて、指定席の通路に立つということにならないためにね。
下北沢add cafe
2004年12月29日 13:38 | com: 0 | tb: 0
雪が降りしきる中、下北沢のadd cafeに行ってきた。
都心に近くてインターネットに接続できるミーティングスペースということがキーワード。オレンジと白を基調とした暖かみのある雰囲気が魅力的に映った。
了承をとってはいないが電源も使えて、この日のランチタイム12:00-15:00にはコーヒーと紅茶がフリーで飲めるとあれば抜群の環境。開店と同時にずっと居座ることも可能だと思う。アートも飾られていて実験的なスペースになっている。今まで下北沢の良さが分からなかったが、このカフェを知っているだけでも大きく印象が変わってしまうくらい居心地が良かった。
TWEED - Lake Tajo
2004年12月28日 04:16 | com: 0 | tb: 0
不意に写真集をプレゼントされたのでびっくりしたのだけれど、嬉しいものです。Lake Tajoと聞いて初めは誰のことだか全く分からなかったのですが、GDCの熊谷隆志さんということが判明して、そうかそこを汲み取ってくれた上でのプレゼントだったのかと今更気づきました。
GDCはファッションブランドとして名前は聞いているけれど、実際は着たことがない。ただ、僕の大好きなスタイリストの伊賀大介さんがアシスタントとして熊谷隆志さんと仕事をしていたというので、やはり気になる存在です。
写真集を眺めていると不思議な気分になります。暖かい気持ちになったり少し切なくなったりと、写真はいくつかの感情を喚起させてくれます。Lake Tajoの作品も暖かさと冷たさの中間にあるような気がしてイメージが湧いてきそうです。
デイズド&エキサイト:LAKE TAJO(熊谷隆志)
xknowledge:TWEED Lake Tajo
東京ミレナリオ
2004年12月27日 00:02 | com: 1 | tb: 0

東京ミレナリオ-公式ウェブサイト http://www.nifty.com/millenario/
東京ミレナリオに行ってきた。
丸の内・大手町界隈ということで、いつもならビジネスマンで溢れかえっている場所ではあるのだが、ミレナリオという一種のスパイスによって魔法にかけられたように一般人が集まっていた。東京駅からぐるりと迂回し、列に参加してミレナリオまで辿り着くまで30分ほどだったろうか。それでも待ち時間は少なかったと思われる。
東京は人口が多い分、こうしたイルミネーションも各地で催されている。イルミネーションを求めてやってくるのは何故だろうか。ひとつひとつは小さな光の粒であっても、いくつかが集まることによって喚起されるイメージが安堵感をもたらしてくれるのだろうか。とにもかくにもじわりと元気が出てくる。月並みだけど来てよかった。
takeosho.net
2004年12月25日 10:52 | com: 14 | tb: 0
この度独自ドメイン取得のために新しくblogを始めたいと思います。
テーマは今のところ定まっていませんが、次第にカラーが出てくればいいなという感覚です。
ネットが生活を豊かなものにするツールであることを願って、自ら楽しんでいこうと思います。
Sandiego
2004年12月23日 23:46 | com: 1 | tb: 0
11月20日
グアダラハラのバスターミナルへ朝7時半に着く。
ここからティファナまで36時間かかる。すぐにチケットを購入して8時出発のバスを待つ。アンヘルくんとお別れをして長い長い移動の始まりだ。
バスは冷房が効きすぎて寒いと聞いていたが本当にその通りで、上着をかけていても震えることがある。頭上の空気口を塞げばいいのだが、隣のおばさんは震えているのに口を塞ごうとしない。周りを見渡すと誰も口を塞ごうとはしておらず、一瞬怒りさえ覚える。彼らは熱いのかもしれないな。オレはオレで体温を調節しなければならないと考えるしかなかった。
バスの中は時折ビデオが上映され眠くなければ見ているといった状態。もちろん日本語字幕がないために、英語とスペイン語の声と字幕を見て勉強した。そのほかは2人分の座席を占領して横になるくらいしかない。
ティファナまでの道のりで、いくつか軍隊による荷物チェックをさせられた。合計4、5回ほど止められただろうか。眠いのに寒いのにわざわざ外に出なければならないのが面倒で、メキシコ人たちもうんざりしていた。長距離バスは案外こまめに休憩をとる。トイレ休憩が主なのだろうが、バスターミナルのトイレは有料なので僕はバスのトイレをもっぱら利用した。
11月21日

そんなかんだで38時間。予定より遅れてティファナについたのは21日の22時だった。ここからタクシーで国境まで向かい、すぐに国境を越えられると思っていた。が、入国審査でアメリカ入国のビザがないといって入国を拒否されてしまった。パスポートにはビザを切り取った跡が残っていたのだが、初日にロサンゼルス空港を出てしまったために、ビザを失ってしまっていたのだった。なんとか理由を説明し、新たなビザを発行してもらえることになった。アメリカでの住所を示す必要があったために大村くんに電話し、発行手数料6ドルを支払うために両替商を探す。そうしてなんとか入国を認められて、やっと大村くんに会うことが出来た。友達のめぐみちゃんとエドワードの3人で迎えに来てくれていた。

車でサンディエゴに向かう途中、お腹が減っていたのでハンバーガーを食べにいくことに。メキシコ料理ばかり食べていたので、なんだか新鮮な味がした。夜中の24時過ぎにこんなものばかり食べていたら太ってしまうね。などといったことを言い合って、2つのハンバーガーを食した。
大村くんの家はとても広く、じゅうたんがフワフワで快適な環境。僕たちはメキシコの写真を見ながら旅の話で盛り上がり、眠りについていった。
11月22日
昼前に起きて、テスト後の大村くんとめぐみちゃんと一緒にピザを食べに出掛ける。店の雰囲気も良く、味も料金も良心的で3人とも気に入った。めぐみちゃんはこれから授業ということだったので別れて、大村くんと二人で家に戻る。
サンディエゴ港にある戦艦ミッドウェイを見るために、もう一人のルームメイトであるボビーに近くまで車で送ってもらう。

ミッドウェイは大きく、戦闘のための船であると同時に生活のための船でもあった。中に収められている飛行機やヘリコプターもよかったが、船員が生活するための食堂や寝室などが船内での生活観を十分に伝えてくれた。僕たちは司令官の椅子に座って雰囲気を味わったり、甲板の上から見えるサンディエゴのダウンタウンを眺めながら、すごいすごいと連発していた。
その後、ダウンタウンを少し見学してスターバックスのお姉さんがアメリみたいだったねといい気分を味わって、ボビーにハイアットホテルまで迎えにきてもらった。夕食は大村くんお勧めのお寿司の店。とてもお洒落な雰囲気で気軽には入れないところ。ここで食べたいくらのまろやかさは忘れられない。家に戻ってもステーキを食べたりして、本当食べてばかり。
帰国便は23日の朝だったので、この日中にロサンゼルスまで行かなくてはならなかった。偶然にもボビーがロサンゼルスで行われるオンラインゲームの発表イベントに行きたかったために便乗させてもらうことにした。ここで大村くんとお別れをして、ボビーと2人、車で走り出す。ボビーは日本のアニメーションが好きだというのでガンダムの話などを出来る限り話そうとしたが、英語が得意でないために言いたいことが伝えられないこともあった。メキシコでもスペイン語が話せないことで十分に楽しむことが出来なかったので、もっと語学は磨いておかないといけないと肝に銘じた。
ロサンゼルス空港に降ろしてもらったときは23日の1時。あと7時間半待たなければいけない状況で、ベンチで寝ることにした。この旅の中で一番寒い思いをしたんじゃないだろうか。旅も終わりだなと思いながら過ごした深夜の空港は昼間の活気よさとは違ってしんみりとしていた。
Guadalajara
2004年12月16日 13:39 | com: 1 | tb: 0

11月17日
グアダラハラには夕方到着した。
バスターミナルは今までのところよりもはるかに大きくて交通の要であることがわかる。
すぐにセントロ行きのバスに乗ってカテドラルの近くで降りる。

最近できたというユースホステルに宿泊することに決め、夜の街を散歩することにする。グアダラハラは人口は多いが案外静かな環境が整っているように見えた。大通りの人の数は多いものの少し脇道にそれれば小さな明かりがぽつりとしているものが多い。メキシコシティには感じられた危険な雰囲気がほとんどないような気がしてきた。
ユースに戻り、翌日テキーラ村に行きたいことを告げると管理人のペドロが3人以上の参加者が必要だと言う。合部屋になったNYのケンゴさんとイングランドのジェームスを説得し、なんとか参加できる手はずは整った。
ユースは比較的新しいはずなのにシャワーから湯が出なくて困った。寒いシャワーを浴びていると疲れが全く取れない。後から入ったケンゴさんは粘って待つとアツアツなのが出るよと言っていたがどこまで待てばよいのだろう。
11月18日
朝は8時頃起床。
ロビーでは朝食をとる宿泊者の姿がちらほら見える。すると管理人のリンが話しかけてきて、これからヨガを一緒にしないかと誘われた。少し面倒だなと思いながらも断る理由もない。もう一人女性を加え、3人で一枚のマットを引いて始める。基本はリラックスすることだ。そして呼吸を大切にする。お香を焚いて雰囲気をつくり、リンの指示通りに体を動かす。すると、起きたての堅い体が熱を帯びてほぐれてくる。徐々に稼動範囲が広がり生き生きとしてくる。ヨガに限ったことではないだろうが、朝のスタートにはちょうどいいエクササイズになった。
昼前にペドロ、ケンゴさん、ジェームスと僕の4人でユースを出発し、近くのバスターミナルへ歩いていく。今回のテキーラツアーは200ペソで参加した。自分でバスを探し、村でガイドを依頼する方法もあると聞いたが、時間や手間のことを考えれば手っ取り早く、しかも安いということが決めてになった。2時間ほどバスで移動すると遂に念願のテキーラ村へ到着した。
しばらくするとガイドのサリーがやってきて、まずは昔のテキーラ工場を案内してくれるという。



テキーラはアガベと呼ばれるアロエのような植物から作られる。地中に埋まっているパイナップルのような形のものを茹で、石のローラーで潰す。そうして滲み出てきた液体を樽に移す。そこでしばらく放置して発酵させた後、機械に移して蒸留させることによって私たちが飲んでいるテキーラの原液が完成するという。
その後は現在の農場と工場を見学をしに車に乗って出掛ける。COFRADIAと呼ばれる工場へ着くとテキーラの歴史や博物館を案内される。工場に入るとテキーラの匂いが充満していてそこにいるだけでほろ酔い気分になってきそうだ。先ほど訪れた工場とは違い、現在は大規模生産を行うために自動的にテキーラが作られる仕組みが出来上がっている。一通り見学した後、待ちに待ったテキーラの試飲が始まった。

3ヶ月モノ、11ヶ月モノ、3年モノの3種類を飲み比べたがやはり3年モノがまろやかで一番良い味をしていた。調子に乗って何杯も乾杯してしまったので昼間にも関わらずくらくらしていた。お土産に11ヶ月モノのテキーラを買って村へと戻る。簡単な食事をいただいて、グアダラハラへ帰るバスを待つ間、村のバーでもテキーラを飲んでみることに。結局バーでは20ペソのチップだけで何杯もマルガリータをいただいてしまった。少し悪いなと思いつつもメキシコ人の心意気に感謝する。
そうして岐路のバス内では気持ちよさと疲れが出てぐっすり眠る。テキーラ村へ行くことができ満足した一日だった。
11月19日
ユースを10時くらいに出発して、グアダラハラ市街を観光することにした。カテドラル周辺は建物が綺麗なことと広場や公園施設があるために落ち着いた雰囲気になっている。そこから東へ向かっていくとユネスコの世界文化遺産に登録されているオスピシオ・カバーニャスがある。それほど興味はないのだが、これといってすることもないので退屈しのぎに入ってみる。

入り口を入るとスペインがメキシコを侵略した様子を描いた壁画がすぐに眼前に入ってくる。機械のように無機質なものとして描かれたスペイン兵がメキシコを食い蝕んでいく画を見ていると当時の残虐な様子が浮かんでくる。その他、キリスト教関連の絵画などが展示されており、規模も大きいために全てを鑑賞するには少々体力が必要である。
夕方、大学の友達である大村くんに紹介されていたリサさんとカテドラルの前で待ち合わせる。実は前日の夕方に会うつもりであったが、テキーラ村から帰ってくる時間が予想以上に遅れてしまったために、この日に変更していた。前日に迷惑をかけてしまったので、何とか気分を盛り上げなければ申し訳ない。17時すぎに彼女はやってきた。パーカーにジーンズとスニーカー、ポーチを腰にぶら下げてカジュアルな雰囲気の彼女はキュートだった。電話でしかコミュニケーションしていなかったが、関西系だったのですぐに打ち解けた。そしてもう一人大学の友達のアンヘルくんという男の子がやってくるまで、前日は失礼しましたといったことを話していた。
3人が合流して、市場を案内してもらう。話によると市場で買えないものはないというくらいモノが充実しているという。メキシコの音楽がほしかったのでそれを目当てに細い通路を人を掻き分けながら進む。ここではマリアッチのCDを2枚と流行っているらしいルイスミゲルのCDを買った。この音楽はどういうのかと考えながら、店のおじさんに音楽を流してもらい、これはいいとかちょっと気に入らないなどと話しているだけで楽しい気分になれる。こういった余裕のあるコミュニケーションもいいのかもしれない。
その後、夕食を食べるためにアンヘルくんの車に乗り、馴染みの店に連れていってもらう。

まずカフェ・デ・オーチョと呼ばれるお米から作られる飲み物を頼む。これは白く濁っているのだが、べっとりするというものでもなく、意外とあっさりしていて飲みやすい。メキシコでは多くの人が飲んでいるのだそう。ここではチーズ入りのタコスが美味しいということで、アツアツのものをすぐに召し上がる。舌の上でチーズがとろけてきて、肉と絡んだ旨みがじわっと口の中に広がる感覚。
腹を満たした後は、バンドによる生演奏が聴けるというバーで飲もうということで移動する。バーは若者が集まっていて活気のある様子。これは日本でもありそうだが、どことなく薄暗く妖艶な雰囲気である。店のお姉さんがセクシーな洋服を着ていたこともあるが、基本的に開放感に満ち溢れていて、店も客もバーでの振舞い方を心得ているような気がする。アルコールを飲むことで得られる開放感を分かった上で十分に楽しむという方法を知っているということだ。僕たち3人はリサを通訳にしてもらって会話をして過ごした。大半がアンヘルくんの熱い思いについてだったのだが。
実はこの晩にアメリカとの国境の街であるティファナまで行くバスに乗ろうと思っていたが、この場を離れたくないという気持ちが上まって残ることにした。次の日の朝バスターミナルへ向かうことにして、この日は急遽アンヘルくんの家に泊まらせてもらうことになった。
Morelia
2004年12月12日 22:47 | com: 0 | tb: 0

11月16日
モレーリアへは夕方17時頃到着した。
バスで市街へ移動し、ここで降りると丁度いいと言われ降りたのはソカロの南側5分のところだった。そこから街の中心まで歩いていくと、コロニアル調の建物が広がってきて驚かされた。すでに周りが暗くなっている中、カテドラルがライトアップされている姿は豪華で壮麗なものに見えた。

昼間も同じ角度から眺めてみたが、やはり夜のライトアップが素晴らしい。この美しさは実際に見てみないと実感が湧かないものだ。
ホテルに着きチェックインを済ませ、街を探索するために歩き出す。街の中心部はコロニアル調の建物が並んでいるために人工的な装いばかりを見せる。車の排気ガスなどが舞い上がり、多少空気が悪いことを除けばとても綺麗な街並みをしているといえる。
夕食は生演奏の音楽が聴けるレストランでとった。レストランはCDショップに隣接しているためにすぐには気づきにくいのだが、重く大きな扉を開けた向こうには暗闇のキャンドルがほのかな暖かみを提供してくれる空間がある。壁面にはチェ・ゲバラの写真が飾られており、またミチョアカン州名物である死者の日をあらわすような骸骨のモニュメントがずらりとぶらさがっている。とてもロマンチックなレストランだったので一人で行ったのが勿体無いくらいだ。客数も少なく、じっくりとお互い話し合うための環境が整っている。ここにはもう一度訪れたいとさせる魅力を感じていた。
しばらく街を探索していたのだが、特別することもなく明日グアダラハラへ行くつもりであったので早めに就寝する。
11月17日

早めに起床して水道橋を見に行く。そしてカテドラルの傍のカフェでサンドイッチとコーヒーを注文して朝のひと時を満喫する。サンドイッチはなんということもない味だったがコーヒーは味わい深い。店員の雰囲気もよく、一日のスタートを切るための要素を備えている。チュロスを二本持ち帰りにして、いよいよグアダラハラへ向かうためバスターミナルへとタクシーで向かう。
Patzcuaro
2004年12月07日 04:46 | com: 1 | tb: 0

11月15日
メキシコシティからバスで5時間半。2つ目に訪れたのはミチョアカン州のパツクアロの町だった。ここは湖とそこに浮かぶハニツィオと呼ばれる島が美しく、毎年10月の末から11月の頭に3日間ほど行われる死者の日で有名な町である。
バスターミナルは町の南にあり、そこからタクシーで町の中心部へと向かう。料金は20ペソほど。途中、タクシーのサイドミラーが路駐している車のミラーにぶつかったが運転手が何もなかったかのように振舞っていたので少々不安を覚える。町の中心部にあるポカネグラ広場まで案内してもらおうとしたが、実際降りた場所は指定した広場とは別のバスコ・デ・キロガ広場だった。騙されたのかどうかわからないが降りてしまった後なので元々向かうはずだったもう一つの広場へ歩いていく。するとほどなく目的地周辺に着いてしまった。思ったよりも小さな町のようだ。人口は8万人ほどと聞いているのでシティとは比べるまでもないのだが、都会のごみごみした雰囲気から一転してカントリー調の町並みへと移ってくるとどこかほっとした気持ちになるものだ。

広場には死者の日の後ということもあってか骸骨のモニュメントが飾られていた。ホテルを決めようと最初に訪れたConcordiaは料金の安い部屋が一杯で空いている部屋は高かったために断念。隣のSan Augustinホテルに移り部屋を見せてもらう。2つの部屋を案内され、広場に面した広く天井の高い部屋に決める。100ペソと安かったがもとはドミトリー用に用意された部屋なのだろうか。あまりにもだだっ広い部屋にぽつんと置かれたベッドとテーブル、テレビはこじんまりとしたものに見えた。
さて、荷物を置けば身は軽くなる。夕方も終わり辺りも暗くなってきたので、まずは空腹を満たすべく町のレストランへ出掛ける。レストランには4人グループの1組しかおらず静かな雰囲気だ。屋台ならいいがやはりレストランに一人でやってくるのはぎこちないもので、こ洒落た店にいくのは少し億劫になりがちだ。しかしどう思われてもいいと開き直らなくては一人旅は楽しめない。まずはコロナを注文し一日を労う。料理はトルティーヤチップスが散りばめられたトロトロのスープと焼き鮭の二品。お好みでパンのサービスがあり、ちぎってスープと絡めて食べると旨い。メキシコではトルティーヤやナチョス、パンなどがサービスでついてくる。韓国ではキムチがついてくる。では日本では何だろうかと考えたことがあったが、それはおしぼりかもしれない。おしぼりはきめ細やかなサービスだなと考える。
レストランでの夕食を終え町を散歩することにした。パスクアロの町は人口8万人という規模なので賑やかさが足りない。午後9時というのに通りには人気がなくなっている。そして肌寒い。丘の上の教会や広場をぐるっと回ってみても静けさが漂う。正直夜やることがなくなってしまったので明日に備えて早く寝ることにする。
11月16日
朝7時に目を覚ました。広場に面した窓から下を見下ろしてみると、人の数はまばらである。まだ人々が活動する時間ではないのだと感じながら、朝の町並みを眺めるべく散歩に出掛ける。ホテルの裏は市場になっていて開店の準備をする姿が見られる。すでに準備が整った店もあり、工芸品を扱う土産物や野菜・果物を売るところ、肉を販売するなどとバラエティに富んでいて、もちろん食事処もある。どうせなら美味しいものを食べたいと思い、集客の多い店を探す。PLATO CHICOで頼んだ野菜と肉のスープはコクがあり体が温まるので朝をスタートするにはとてもよい。その後ビタミンや水分の不足を補うべくカットフルーツの盛り合わせを購入し広場で食べた。
今日は湖を訪れハニツィオ島を見てみたい。風光明媚なミチョアカン州の中でもこの湖は特別なようなものに見えた。ボカネグラ広場でバスの運転手にハニツィオ島に行きたいんだとアピールしたらLago行きのバスに乗るんだと教えてくれた。ガイドブック通りだ。2、3分ほどで新たなバスが到着し乗り込む。約10分ほど走った後で客の一人がここで降りるんだと教えてくれる。船着場が視界に入ってきて、一気に湖が目の前に広がった。ハニツィオ島行きの船は往復30ペソ。早速船に乗り込み出発を今か今かと待つ。他に乗り込んでくるのは観光目的のカップルや親子、もしくは多くの荷物を担いで、おそらく商人なのだろうか、島の人間かもしれない様相をしている。船の出発から20分ほど、島が徐々に大きくなり目の前に壮麗な風景を映し出す。

島に降りる前に漁師のパフォーマンス。マリポサと呼ばれる網を投げてPescado Brancoという魚を捕まる様子を披露しチップを要求してくる。いつもこうやって稼ごうとしているのだろうか。生活の知恵というべきか、観光客をカモにしている行動に対しチップを払ってしまう。
島はそれほど大きくないが人々が生活する様子は見れる。頂上のモレーロス像を目指すまでほとんどが土産物売り場や飲食店なのだが、しつこい客引きはなく、むしろ島の小学校や民家の生活が垣間見えてくる。島の人々にはゆったりとした時間が流れていた。

モレーロスの像は頂上に設けられた敷地の真ん中に立っている。中に入ると螺旋状に通路が用意されていて、壁に描かれた歴史を見つつ像のてっぺんまで登っていける。てっぺんには小さな小窓が3つほど用意されていて島の一番高いところから周囲を見渡せる。しかし、ここからの眺めはそれほどいいものではなかった。
島でやれることは特になく風景を楽しむくらいだったが、やはり島料理であるPescado Brancoを食べなくてはと思った。

小魚をカラっと油であげ、野菜とともに皿に盛り付けてある。とてもシンプルな料理でおやつ感覚で食べる。魚にライムをかけると油っこさが緩和され旨い。周りではちょうど小学生くらいの子供たちが遊んでいて、近所のおばさんとのコミュニケーションが交わされている。とてもほのぼのとした風景。小さな島で3時間ほども過ごしていた。
パスクアロに戻る船の上で今後どうするか考えていたのだが、パスクアロからグアダラハラへ行くバスは一日に12:30と23:50の二便しかなく、当初の予定ではもう一泊して12:30に出発するつもりだった。しかし今夜パスクアロに泊まってもそれほど刺激がないと考えたので、急遽モレーリアを訪れようという案が浮かび上がった。ここからちょうど2時間ほどであるし、便数も多いことを考えれば行ってみても損はない。そうと決まればさっさとバスターミナルへと急ぐのみだ。のんびりとしたパスクアロに別れを告げる。
