CHARANGA HABANERA with HAILA MOMPIE
2004年08月28日 23:29 | com: 491 | tb: 7

CHARANGA HABANERAのライブを見に行く機会に恵まれた。
彼らは夏のハウステンボスでの日程をこなした後、東京に来て2回のライブを行った。その2回目、日本での納めの場であるSHIBUYA-AXに僕は友達のH氏とともに向かった。
開場までの時間、列をなして並んでいたのだが、集まってくる人々を見ると実に様々な格好をしている。ライブを楽しむために決まったドレスアップすることが必要というわけではなく、僕たち自身も普段着であるのだが、そのような様子を見ていると今回のイベントには様々な因子が含まれており、人々を惹きつけている。それはsalsaであるかもしれないし、CHARANGAのもつ魅力であるかもしれないし、あるいは村上龍かもしれない。そんなことを考えていたが、いずれにしても多くの人が集まることはよいことだと思う。

村上龍氏の簡単な挨拶が始まる。手短に話そうとするその言葉には安堵感のようなものも垣間見えた。今回もライブを開催することができたことへの安堵。いかに素晴らしいバンドでも、それに対してお金を出してくれるスポンサーの存在がなければライブは成り立たないということを語っていた。
さてCHARANGAのライブであるが、それは純粋に楽しめるものであった。このままでは何とも陳腐な表現に留まってしまうのだろうが、感覚的に伝わってくる楽しさは楽しいとしか言いようがない。彼らのボーカル、ダンス、演奏などの高い技術が裏付けているのはもちろんであるが、キューバ音楽には根源的な明るさがあり、僕たちはそんな雰囲気に包まれてしまうのだ。
途中ボーカリストたちが空に向かって手を突き出すと、観客も同じように手を突き出す。手を左右に揺らすと、観客もそれに続く。そのような一体感がライブには存在する。始め荷物をぶら提げていると、ボーカルの一人が目線で手を突き出そうぜと話しかけてきた。そのとき何だか嬉しいのと申し訳ないのが混じりあった気持ちになったが、不必要だった荷物を放り出して僕は解放された。
そう、私たちは何らかの荷物を背負っている。年齢を重ねるごとにその荷物は重くなっていき、やがて降ろすことが困難になってくる。古くから背負ってきたものは尚更だ。荷物は価値観を形成するとともに先入観を養うために本質を見失うこともある。本質を見失わないために何をすべきかといえば、背負う荷物を選択することである。
ライブに参加する前には荷物をロッカーに預けることを強くオススメする。
salmunas in Nagoya
2004年08月24日 12:10 | com: 24 | tb: 0
今年のsalmunasは8月22日名古屋で開催された。salmunasとは年に一度開かれる学生主催のsalsaパーティー。2002年横浜から始まり、2003年は京都、今年は名古屋へと場を移した。全国から集まってきたのは、東北Salsa monde、法政SALSAnet、名古屋のLas Claves、京都の京大サルサ部、慶應Salsa☆Tropicana、そして各種方面で繋がりの出来たsalsa仲間たち。
近くで24時間テレビの名古屋会場があったのだが、僕たちはそれとは関係なく踊り、飲み、語り明かした。salsaという繋がりで広がった面々が全国から一同に会するということ、それはある種特異なことではある。しかしsalsaをキーワードとして集まった者たちは、その空間と時間を楽しむことができる。そう、単純に純粋にその場を楽しめればよいのだ。夜が明けた頃、一種の解放感に包まれ、偶然に出会ったsalsaとこの場にいる必然性を感じていた。
素敵な時間を過ごすことができたことを感謝したい。集まったメンバー、そして今回開催してくれた名古屋の方々お疲れ様。ありがとう。
仙台七夕祭り
2004年08月06日 00:36 | com: 0 | tb: 0
四日目は帰京ついでに仙台の七夕祭りを見に行った。
初日にも立ち寄った仙台の街は以前とは大きく変わっていて、とにかく人の多さが何倍にもなっていた。秋田を始発で出発して12時に仙台に着いたのだが、改札の正面は浴衣を着た女性や人を待つ人々でごった返していた。
ここでも祭りの力は人を動かすのだと確認し、待ち合わせした澤田さんと合流。昼食を食べようと駅の牛タン店を見に行ったのだが行列をなしていたので駅の東へとまわる。駅の東口方面はメインではないために人通りはまばらなのだが、少しほっとする様子を見せる。利休という牛タンの店は最近身近な存在になりつつある店で、サラリーマンの姿がちらりちらり。店を出るときには少し列ができていた。牛タンで有名な仙台だが、その牛肉はアメリカ産であることをご存知だろうか。BSE問題は仙台にも影響を及ぼし、確実に牛肉の在庫は底を尽きつつある。牛タン発祥の店「太助」では5枚だったタンを今では4枚に減らすという対応策をとるほどで、近い将来仙台で牛タンを食べることが出来なくなる可能性はあるようだ。そういうことを感じながら牛タンの味を噛み締めた。
七夕祭りは西口のアーケードを中心に行われているのだが、三日前のアーケードとは比べものにならないくらいの人だかりで歩くのも大変だった。商店街の店は独自に出し物をして、そもの派手さや綺麗さなどで優秀なものは表彰されるようだ。それぞれが創意工夫して短い期間である祭りを彩っており、人々を楽しませていた。
夕方からのイベントには参加できなかったのだが、帰宅するために16時頃発の電車で東京方面へ向かうことにした。電車の旅は異常に乗車時間が長いのだが、慣れればそれほど苦ではないことを体験したし、移り変わっていく風景をちらりちらりと見ていくと確実に土地を移動していることを感じられた。そして祭りの持つ魅力や力強さを身近に感じ、その土地に息づいている文化には日常が作り出した見えない枠を取り除き、解放する要素があることを知った。なりより祭りを楽しむ人々の姿・表情には、現代を生きる私たちが忘れがちな活力が溢れていた。
秋田竿燈祭り
2004年08月05日 17:34 | com: 0 | tb: 0
三日目は竿燈祭りを拝見しに秋田に出向く。
夜の街にぼんやりと燈る提灯が有名な祭りである。
秋田市街地の竿燈通りを封鎖して、各町内会や団体、大学がそれぞれの技を競うような形式である。基本的に女性は太鼓や笛などの音楽を担当しているようで、とても力強い。東北に来て三日目だったが、これらの祭りは女性の力によって支えられているといっても過言ではなく、彼女らの粋の良さが祭りを一層盛り上げている。太鼓から発せられる響きは心の内側を喚起し熱くさせるものがある。一方、男性は竿にぶら下げた提灯を高々と掲げ、困難な方法(片手や額、腰などに載せて)どれだけ高くまで上げることが出来るかを競う。竿灯祭りは一般人が参加することは出来なかったが、そこに一種の地域性や儀式的要素、芸術などが織り込まれており素晴らしい。この日のために練習してきた意気込みがまじまじと伝わってきたことが、今回の旅で最も印象つけた祭りのポイントである。
若者は大人の演技を見て育ち、追いつこうと努力するのだろうか。そういった歴史の繰り返しを想像していると地域的な集団の良さを感じられる。たった数日間に一瞬にして輝く光景は人々を団結させ、一体感を生む。都市では確信犯的に失われた地域性が、この地では依然として受け継がれているのだ。
青森ねぶた祭り
2004年08月04日 17:02 | com: 0 | tb: 10
東北の旅2日目は青森のねぶた祭りに出掛けた。
有名な祭りなだけに実際に見に行かねばならない(素晴らしいと知っているだけでなく、自分の目で見て体験することが重要という意味で)と考えた。今回東北まで出掛けるきっかけになったのも、やはりねぶたの力が大きい。
前日に盛岡で一泊したのち、青森まで出掛けるために八戸へと向かわなければな
らなかったのだが、盛岡ー八戸間も当然18切符で行けると勘違いしており、朝盛
岡駅で事実を知ったときは少々戸惑った。というのは、JRでは盛岡ー八戸間は現
在鈍行が走っておらず、第3セクター経営の銀河鉄道で行くか、東北新幹線で行
くかのどちらかしかなかったからだ。駅員の話によると新幹線で行っても500円
ほどの差しかなく、大幅に時間の短縮ができるために新幹線を選択するのが賢明
ということだったので、3500円ほどの予想外の出費であったが泣く泣く支払うこ
ととした。
盛岡ー八戸間は新幹線でたった30分。これまでの鈍行の旅とは大きく違い、本を読む時間すらないと感じた。八戸の駅前は整然としていて、土産物を揃えた大きな建物が一つあるくらいだった。東北新幹線を青森まで伸ばそうという運動があるのだが、それが実現したとき八戸の町は大きな打撃を受けるのだろうと思い、それは盛岡とて同じことなのだと感じた。中継地点での楽しみが徐々に失われていくことと、国土交通省の叩かれっぷりなどを考えると線路の延長に慎重なのが頷ける。
さて、今回の宿泊地は青森駅から電車で15分ほどにある浅虫温泉。ねぶたシーズンで青森駅近くの宿泊はほとんどが満席状態だったので已む無くこちらを選択したのだが、有名な温泉地なようで海水浴場も近くにある素敵なところだった。その中のすみれ荘に宿泊したのだが、話を聞くとそれでも往年よりも客数が減っているとのこと。この時期が大きな稼ぎ時であるにしろ、収益が伸びないような感想を漏らしていた。民宿の方の対応はやたらに世話をやくわけでもなく適度に親切で好感が持てるものだった。
ねぶた祭りは18:30頃から始まった。はっぴを借り、ハネトとして参加するメンバーは一つのねぶたに50人くらいはいただろうか。「らっせらー、らせらー」の掛け声に合わせ跳ねていくハネトは半数ほどが県外からの参加と思われる。ねぶたは団体ごとに一つ出し、スポンサーとして企業がつくような形をとっていた。僕が参加したところは消防第二分団のアサヒビール協賛で、アサヒビールの社員の方も参加しておりビールを飲んでの参加であった(笑)ねぶたを担ぐのは地元の高校生らしい。近くにいた高校生に話を聞くと、バイトとして一晩市内を廻ることになっているようだ。予想として地域の集まりが担いでいると考えていたので、祭りを維持していくためにバイトを集めなければいけない現状には少々落胆した。しかし、もはやこういった祭りの意義さえも問い直される中、それでも祭りの持つエネルギーに素晴らしさを感じるのは僕だけではないだろう。日本を代表する祭りに参加する喜びと、外部からの参加者という二つの側面によって成り立っているということに複雑な思いを感じながらも青森の夜は一瞬の激しさと儚さを魅せた。
盛岡さんさ踊り
2004年08月03日 23:39 | com: 0 | tb: 0

東北の祭り第一弾。
青春18切符で東京を朝5時に出発。途中、仙台で牛タンを食べるなどして盛岡に着いたのは出発から14時間経った午後7時過ぎだった。
盛岡の駅前は浴衣姿の人が目立ち、祭りの気分が高揚してきた。祭りの持つワクワクする要素は若者にも大人にも平等に楽しさを演出する。駅前から市街へと向かっていくと、祭りに向かう人々と駅に向かう人々の2つの流れに戸惑いを覚えた。さんさ踊りは3日が最終日であり、そういった影響もあるのだろうかと思いながら中心へと歩く。
さんさ踊りは行列を組んで笛や太鼓を鳴らしながら踊りを披露する。踊りは各団体に任されれており、それぞれがオリジナルの振りやステップで舞う。地元企業や公共団体が積極的に祭りに参加している姿を見て微笑ましかった。
そして飛び入り参加も出来るということで見よう見真似ながら列に交じることにした。体験してその思いが強くなったのだが、祭りは参加してこそ楽しめるもので、見ているだけでは楽しさは半減してしまう。祭りの持つエネルギーを取り入れなければいけないのだ。
祭りの後に食べた冷麺は喉ごしがすっきりしていた。西瓜を入れるのが盛岡流なのかという疑問は残ったが、事実はどうなのだろう。
